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霙の偽日記

『月うさぎ』

私たちは、宇宙の全てを知っているわけではない。

学校とは知りたいことを残らず教えてくれる場所ではない。
しかし、知を収集する助けになることは間違いない。

全ての知識が書物となって所蔵されている
バベルの図書館は、宇宙よりも巨大になると聞いた。
私たち人間の及ぶ領域ではないな。
人の脳は、不可能を可能にする小宇宙。
それでも、あまりにも及ばぬ知の深遠。
あらゆる人間が塵に等しいと同じく、
学問を求めるものには、宇宙でさえも塵の一粒となる日が
いつかやって来るのかもしれない。
知を求めることの空しさ、儚さ。
しかし、追い求めることが喜びであることもまた
否定できない。
誰もが一度は疑うことであるとしても
どうしても取り戻そうとする、新しい希望のはじまり。
それは人類にとって新たな出会いであり、
新大陸であり、
成し得ない一歩を実現させて踏み出す天体であり、
やがて、目的に至ろうとする危険に満ちた航海もまた
目的そのものであることに、いつか気がつくはずだ。
そして、私の学校の生徒が道を見失うときには
私が生徒会長として、手助けできることもあるだろう。
もしも、
学校はつまらない、
一部の者のためにできている、
そう思い悩むときには
決してそうではないと
知っているから私なら教えてやれる。
それは私たち誰もが迷う
果てしのない旅の縮図。
やがて踏み出す荒野の冒険において、きっと手助けとなる経験。
この小さな校舎で迷うことがあるならば
絶望的なまでにちっぽけなひとかけらの同士として、
手を取り合い闇を透かし見ることを試そう。
または、わずかに先を進む先輩として
ほんの少しの助けになろう。
そして、同じ道を迷う航海の、別の船を操る船長として
私に多くのことを学ばせて欲しい。
私は全ての入学生を歓迎し、
全ての生徒が学び続けることを喜ぶ。
多少のはねっかえりもいるだろう、
誰もが戸惑いを見つけるだろう。
だが、つまづくこと、傷つくことは、立ち上がれなくなることと同じではない。
大丈夫、何も間違いなどない。
この学校で誰よりもやりたい放題やっている私が
生徒会長として言うのだから、確かなことだ。

新学期が始まって、数日。
学校生活はどうだ?
困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ。
たまに学校にいないかもしれないが。
そうだ、これでも忙しいから
骨休めと思って自主的に英気を養う場合もある。
そんな時は、家で相談に乗ろう。
オマエがいつも帰ってくる場所だ、必ず顔を合わせるだろう。
しかし、オマエも難しい年頃だから、
家を出て一人で考えたくなるときもあるだろうか?
ないか?
私は、ないな。
嘘をつかないでいられる、過ごしやすい家だ。
次女として、多少は過ごしやすさに貢献した自負がある。
あと、年上の特権を利用している自覚もある。
これが学校だと、多少は飾る部分も必要だ。
新入生歓迎の挨拶に、
塵だの儚いだのと入れては困ると
先生方から事前チェックでNGが入った。
いいスピーチだと思うんだがな。
というわけで、先ほどの説教は没になった原稿からの再利用だ。
残念ながら、これを披露できる相手は気を許した仲の人間だけだ。
とはいえ、まだ外面を良くしようと着飾っている感じはあるな。
たとえば、大航海時代をやけに称えてしまったが
コロンブスが新大陸を発見したのは、実は偶然だった。
当時から地球が丸いことは知られており、その大きさも予想されていた。
地球の大きさを勘違いしてインドへ向かおうとして、
失敗するはずの航海でたまたま見知らぬ島にたどり着いた。
コロンブスの卵とは、計画性がないという意味でもある。
たぶんコロンブスが先端を割った卵は、勢いで半分くらい割れていたんじゃないかな。
それに、大航海時代に行われた文化の破壊の多くも、ずいぶん乱暴だった。
当時の倫理観で許容できずに破壊した記録。
そのせいでイースター島のモアイ像は、人類の技術では不可能なオーパーツとなった。
運搬の用途で活用できる木がないあの島で、どうやって巨石を運んだのか。
実は、モアイ像が作られた当時には木があって、その後なくなっただけの話だ。
この発想の転換がコロンブスの卵だ。
知の航海もまた、海を渡る冒険に等しいのだな。
オマエもなるべく無理のない範囲で学問に励むといいだろう。
間違っていても、コロンブスのように何かを見つけるかもしれない。
つまらない意地を張ったとしても、後を追うものが始末してくれるかもな。
人間はちっぽけなものだが、活躍するときもあるのだ。

そして、学校だけが学ぶ場所ではないこともまた知っておくべきだろう。
今日は暇な時間を作って、新しい学年に進む妹たちの様子を見に
小学校へ向かい、
家族の成長を喜び、
誘われるまま
サッカーに参加して
いい汗を流してきた。
あの屈託もなく楽しむ小さな姿こそ
私が通り過ぎてきた幼い姿であり
これから進む道を示す師でもある。
発見を繰り返す、いい放課後だった。
サボリだなどと驚かれるのは心外だ。
迎えに言ってあげた当の妹たちにまで、
学校はどうしたのかと心配された。
そこまで自由奔放に見えるだろうか?
少し自由なだけだ。

これからも気兼ねなく
自由気ままにやっていられたらいいのだが
学校が始まれば、朝早く登校する規則正しい生活は必然。
これで夜更かしができなくなる、と思うか?
甘いな。
甘いものは好きだ。
オマエが私を甘く見ていているのもかわいいものだ。
私なら、学校が求めるものにとらわれない。
夜の暗黒、宇宙の浪漫を楽しむことに妥協はない。
月を見上げて、餅をつくうさぎもまた学問の師。
暗黒の広さに思いを馳せ、
しるこの缶を開けるとしぶきが飛び跳ね、ひととき白い月を背景に踊る。
あれは儚い活動なのか、未知を目指す偉大な一歩なのか。
この言葉では表せない愉悦の時間。
夜に学ぶ何かもまた、私の儚い生を少しだけ豊かにする。
師よ、月に住み、同じ食の好みを持つ友よ。
おまえもやはり、あんころ餅が好きなのか?
学校が始まっても、私の楽しみは誰にも奪えない。
飛び跳ね、収穫を喜ぶ月の同士と
夜の歓喜を分かち合おう。
小さな窓だが、無限へと繋がっている。
私たちが作る学校生活もまた、そうありたいものだ。

霙の偽日記

『曇り空』

蛍の体調もすっかり戻ったようだ。
よかった。

ただ、急に無理はさせられないから
春休みのお出かけは先になるかもしれない。
小さい子を中心に、何人かはやけに元気が有り余っているが
そこはオマエに任せることにしよう。
それに、たとえどこにも出かけられなくても、
この家には宇宙を構成する全てがある。
光、暗黒、
喧騒と静寂、
嵐も凪も繰り返し、
生命の鼓動と、そしてやがて到達する終末。
彼方にばかり目をやることはない。
儚くきらびやかに散り急ぐものは、
名所に咲き誇る桜ばかりではない。
我が家の庭にも、春は訪れ
足音も立てず過ぎ去っていく。
桜も、うちの妹にちなんだわけではないだろうが
植えられて、この庭にも花を咲かせている。
もなかちゃんも、虹子にちなんだわけではないが
四季折々の彩りと共に、おやつに並ぶ。
小雨に教えてもらった、この季節の庭に咲く花の名前は
オマエは覚えているだろうか。
大きな声では言えないが、私は忘れてしまった。
後でこっそり教えてもらうつもりだから、オマエは忘れるな。
弟がいるというのは便利なものだな。
こういう時に役に立つ。
たまに、私の好みのおやつを
春風や蛍に進言してくれているようだし
気の利いた弟を持つのもいいものだ。
まさか、単に私を話の種にして
からかっているというわけはあるまい。
うん。
女の子が多い家に、おしゃべりの花が咲くのも
話題の中心に、恋の話があって、オマエがいてくれて、
口を滑らかにする食の道楽が
季節の甘味として届けられるからだろう。
乙女たちにも、春は来ているのだな。
別に冬の間にこらえていた様子はないが
まあ、それでも咲くときはやはり華やかだ。
どこに出かけなくとも、花を愛する心と
花より団子を旨とする乙女の信条は、ここにあるのだ。
お出かけだけではない家族の春休みを過ごすとしよう。
それに、どうもこのごろ天候が不安定だ。
おしゃれに着飾って出かけるどころではない。
春らしい薄着では、また誰かが体調を崩しかねない。
進級の季節に、大人になったような気分で
あんまり下着で勝負を続けていたら
この気温ではおなかを壊す。
家族が無茶をしないように
しっかり見ていてくれ。
任せたぞ。
このごろは、家にいるのが無難そうな休日。
大好きなお兄ちゃんが一日中いてくれることだから、
そう簡単に飽きることもないと思う。
この家に来たのが運命だと思って
付き合ってやってほしい。
時には家族と並んで庭を駆け回り、
時には家族から克明に観察され、
同じ気持ちで笑ったり泣いたりする運命。
生まれつき備わったものだから、決して逃げられない。
滅びの定めと同じく、
この賑やかな日常を生きることは。
そして、私も時にはオマエと助け合い
時には足を引っ張り合い
同じ運命を過ごすのだろう。
オマエとならば悪いものではない。
休みくらい家でのんびり過ごすようにと、神の与えた曇り空。
私はもちろん、風邪など引かないように
布団とコタツを存分に活用しながら過ごそうと思う。
もちろん栄養をたくさん取ることも大事だな。
健康的な生き方とは、こういうものではないだろうか。
模範的なはずなのに、小さい子に真似をされたら困るのはなぜだろう。
これは私くらいになってからの、正しい生活なのだな。
子供は風の子、私も昔は寒さに負けず庭を走ったものだ。
なに、危険なパンツをはいてでもいない限り
そうそう冷えすぎることもないと思う。
そういうときは、オマエが臨機応変で対応してやればいい。
ちゃんと、正しく伝えてやるんだぞ。
オマエの好きなパンツが何なのかを、
心のままに、誠心誠意。
わかったな。
みんなの期待に応えてやるんだぞ。
真実の気持ちを伝えること、
それが、オマエの家族が望んでいることなのだから。
たとえ、それが場合によっては
ちょっとした騒動を引き起こす火種になるとしても
ためらってはいられない。
お互いに思い合うことが大事だ。
愛するというのはなかなか簡単にはいかない。
まだ小さい子には、ルールも必要になるな。
オマエもまだ、かわいがりがいのある小さいほうだ。
それとも、私たちはみんなそうなのかな。
まあ、好きなパンツを言ってはいけないというルールはないから
そこはその場の判断で行くといい。
元気な妹たちの相手で遊び疲れたら、
こたつの中へかくまってやろう。
そう、私も時には遊び相手が欲しいときもある。
昼間は妹たちに貸しておいてもいいが
さすがに一日中では大変だろうから。
私は体力を要求したりはしない。
落ち着いて過ごすのも、家族の休日の一場面。
ゆっくり休んでいくといい。
かわいい弟ががんばって活躍して帰ってきたら
たまにはマッサージもしてやろう。
春風と違って大人しいやつだから、大丈夫だ。
オマエにとって、良い春休みであるように
姉としても優しくしてやりたいからな。
穏やかな季節の休みにふさわしく、
私といるときくらいはまったりとしていられたらいい。
そういうのが似合う空間は得意だ。
癒し系の姉を持って幸せだな。

霙の偽日記

『闇色』

柿食えば
ちゅうくらいなり
法隆寺

なんと物悲しい句だろう。

聖徳太子だって
柿を食べるなら大きいほうがいいのにな。

中くらいの柿に
世を呪っただろうか。
気持ちは分かる。
期待していたごちそうが
思ったほど大きくないと、それはもう悲しいものだ。
たちまち精神は日食を迎えたように闇に沈み、
明かりのささない牢獄となって閉ざされる。
解放のときはいつとも知れず
永遠を過ごすことになるかもしれない
井戸の底のように深い夜の中。
中くらいとは、恐るべきものだ。
この宇宙に、ちょうどいいというものなど何もなく、
全てはエントロピーがたどるように、形を取れなくなり
滅びの定めに従うのみ。

考えてみれば、
柿が大きかったところで
それもまた宇宙の塵となって消える定め。
中くらいのおやつに、悲しむ私の闇もまた
あのような心の激動を前にしてはとても信じられないことであるのに
必ず消え去るのだ。
限りなく深い、あまりにも深い宇宙の懐へと。
私たちは例外なく、一切の嘆きを残さず滅んでいく。
だから、つらいと思うことなど何もないのだ。
悲しみもこの広大な宇宙に拡散して、もう思い出せなくなる。
そんな時は必ず来るのだ。

私でもいまだ、定めを全て受け入れることができるのか自信がない。
ましてや、滅びなど縁がないもののように人生を謳歌するものたちは。
姉妹たちがどのような人生観を抱いていようと
永遠の前では儚いものだというのに、
みんなは自分の信じるものを求めていく。
ためらいもなく、がむしゃらに、
驚くほどに、ひたむきに。
私はただ見守るだけなのだ。
たとえ、焼き芋の大きさで奪い合いを演じようとも
仕方ないこと。
妹たちの姿は昔の私だと懐かしく眺めて
見守るのだ。

そうだ、柿は今の時期にはあまり見ないからな。
これから春に向かう真っ最中の、寒さが居残るこんな日。
温かく私たちの手のひらから歓喜を伝達してくれる、
深紫と黄金色などの言葉でも表しきれない複雑な色合いをした、
まるで魅惑を詰め込んだ暗黒物質の神秘のごとく
私の心をつなぎとめるもの。
塵に変わるまでのひと時も捨てたものではないと、
消える定めとわかっていながらもそんな幻想を抱いてしまう
一瞬の光。
それが、私たちの手元に届けられた
この冬最後となるかもしれない焼き芋なのだ。
少しでも大きいものを、とは当然の望み。
オマエがいたのなら、妹たちをどう裁くだろう。
いや、裁く権利など誰が持つというのか。
このほくほくとした喜びの前において。
話し合いか、じゃんけんか、
あるいは、子供同士だし元気にすもうで──
おやつ時にほこりを立てるのも考え物か。
解決策など、求めるものを知っているなら簡単に出るものだ。
この家の誰も、おいしい焼き芋で悲しい顔をするべきではない。
世の中は儚い。全てが私の希望のままになるとは限らない。
だが、今回はそうでもない。
私はただ、公平になる程度にわたしの焼き芋を分けてやるだけでいいのだから。

限りあるわずかな時間を
家族と仲良く過ごせるなら、
何もかも消え去ると決まっているこの世界に
他に求めるものなど何もない。
あまりない。
ないこともないが、
儚いものと思えば、まあいい。

週間天気予報では、明後日あたりから暖かい日が続くそうだ。
ということはつまり、焼き芋もまた、消え去る運命を避け得ない。
しかし、誰も知ることのできない私たちの運命なるものが許すならば
来年もまた、この喜びに満ちた出会いが訪れるかもしれない。
全てが塵となるまでのわずかな時間にも、
短いサイクルで繰り返される、まるで輪廻を思わせるような営みがある。
永遠に続く夢など幻と知っていながら、
別れては出会う得がたい経験に希望を託すこともある。
来年もまた、このような穏やかな時間を家族と過ごせるようにと願う。
これからの春、桜餅と柏餅の宴を心安らかに迎えられるよう。
今日この日を過ごせたことに感謝し、
あんこがぎっしり入った大きな桜餅を夢に見よう。
また今年も出会えるようにと、幻と区別がつかない夢を。
三月になったばかりで、気が早いようだが、
早く桜が咲かないかな。

霙の偽日記

『偶像』

せっかくだから、アイドルになることにした。

まあ待て、オマエも何か言いたいことがあると思う。
その前に少し話を聞いてもらおう。

もちろん、この宇宙の定めは滅び。
私たちはみな、塵と消え去る。
ひとときの華やかなショービジネスなど、広大な宇宙では何の意味もない。
くだらないことだ。
だが、そんな無意味が、なぜか時には人の心に突き刺さる。
なぜこんなにも、熱い思いが伝わってくるのか。
私たちとアイドルは、みな同じ塵だからなのか。
そのひたむきさが、私たちに不思議な熱をもたらすのだ。
彼らはおそらく──
いや、何がしかの道を知るものは、意識的か否かを問わず、
自らの歩みが塵に等しい無価値であることを知り、
それでもなお、自らの思いに忠実であろうとするのだろう。
目をそらさずに自分自身を見つめ、
広い世界と向き合うことで何かを見つけ、
どれだけ無意味で絶望的な試みであったとしても
何かを伝えようとしている。
多くの人に支えられながら続けているのだろう。
私が、家族に支えられていることを実感しているように。
アイドルの仕事も、無意味であってもとまらない何かのひとつなのだろう。
華やかだから目に付くし、
注目される仕事ではあるとしても、
それが人の心を震わせることに理由があるとしたら、
その活動もまた人の心によって成り立っているからではないか。
あらゆる塵こそが私たちであり、彼らもまた例外なく塵であり
疑いを挟む余地もないほど明らかにつまらない、くだらない存在だ。
そして、つまらない塵の一つが見せる微動が、
私たち同類に何がしかの感情を引き起こすこともまた、疑いなく事実なのだ。
この感情も、塵であると知っている。
でも、時には身をゆだねたくなる──
だからというわけではないが、
アイドルになるという話に戻ると、
別にテレビデビューするというわけではなく
おうちアイドルだ。
雛祭りのお祭りを少し華やかにしてやろうという
一日アイドル。
つまり、アイドルごっこだ。
チビたちが歌い、騒ぐ無邪気と変わらない。
しかし年長であるからには、もう少し良いものを見せたいとも思う。
経験を積み重ねたからこそ持てる力。
たまには、威厳を見せるのも悪くない選択だ。
鍛え上げた本職には及ぶべくもないが、それはそれとして。
ついでに私も心置きなく騒げるという利点もある。
リミッターなどとうの昔に破壊されてしまった自由人のように
いっさいをためらうことなく、桃の節句を祝うのだ。

もし私が自分の特長を生かして活動するなら、
おそらく追求するものは新しいタイプの、虚無的なアイドルの姿。
いわば、終末系アイドルと言える存在か。
なかなか見かけない個性のような気もするし、
そういうアプローチはもうわりと繰り返されているようでもある。
マニアックな方面でありそうだ。
だいいち、終末系を主張する歌のチョイスも困るし、やめておくか。
雛祭りにドナドナも合わないだろうからな。
まあここは順当に、愛らしい雛祭りの歌を選ぶとしよう。
妹たちの見せ場を奪わないように、もうしばらく悩んでみることにする。
さて、雛祭りを盛り上げる歌というのはそんなにあったかな。
まあ、愛しい妹たちの活躍で出番を奪われるとしたら、それも良いものだろうな。

というわけで、少し鍛えている。
発声やダンスをレッスンできる映像は、海晴姉に相談したら揃った。
海晴姉はダンスのレッスンをしてどうするつもりだったんだろう?
特に意味もなく、混じっていただけなのか?
家の仕事を考えれば、そういうこともあるかな。
ここしばらくは夜遅くまで起きていることも多い。
なにしろ、宇宙の神秘に心を惹かれ、虚空に思いを馳せ、
うっとりと夜に抱かれて長い時間を過ごす経験を重ねてきただけあって
気がついたらレッスンに夢中で夜更かしすることもよくある。
なーに心配するな、その分は昼間寝ているから。
数日の徹夜をものともせず、
なかなかの成果を挙げている気がするぞ。
特にダンスのレッスンは、映像の掛け声に合わせて
ワンモアセッ! ワンモアセッ!
ビクトリー!
後になって、これはダンスじゃなくてダイエットや体の鍛錬が目的だなと気がつくまで
結構楽しんでしまった。
海晴姉が持っていたのも、そういう理由だったのかもしれない。
私も、もうずいぶん腹筋が割れてきたことだろう。
見てみるか?

霙の偽日記

『虫歯』

全ては塵になる。
だが、虫歯で塵になったという話は
最近あまり聞かないので──

私は歯医者へ治療に行かねばならない。
なんということだ。

かつては、小さい妹たちの歯を
磨いてやったものだ。
まさか私がこんなことになるとは。
油断していたはずはないのだが、こうなった。

ズキズキと鈍痛が繰り返して、
歯茎の奥まで侵略していく。
私の意思に関係なく深く押し入り
神経はなすすべもなく降伏する。
さらり身を翻し痛みが立ち去っていくかと思うと、
ほっとする間も与えられず
また無遠慮に、予告なく訪れる浸食──

この宇宙とは、
儚い塵が寄り合って
ほんのつかの間だけ形を成し、
定めを受け入れ塵に戻っていく
止めようのない循環。
時に現れ、
時に消え行く──
ただそれだけが真理だ。
私の口中にも宇宙が生まれ、
痛みは定めに従い、現れては消える。
塵に等しいミュータンスが
消え去るだけの宿命に儚い抵抗をしている。
彼らもまた、寄せては返す痛みのようにいつか滅びる。
今の私には、儚く消えるものたちを
いとしく思う余裕があまりない。
いったい私は何を言っているのか。
なんで口の中に宇宙が生まれるのだろう。
どうも痛みのせいで少しおかしくなっているようだ。
冷静な思考は彼方へと消え去り、
やがて儚く消え去るこの肉体だけが
私を支配していくのだ。
ああ、
あまり快感じゃない。
こういうのは、私が言う滅びと
ちょっと違う気がする。
なんだろう。

家族とは、
必ずしも平穏な関係を保てるわけではない。
時にはぶつかり合うこともある。
小さな塵でありながら自らを主張しようとする。
弾き合い、結びついていく。
そんなもの、たいしたことではないのにな。
私たちの喜びも悲しみも、宇宙の前では何の意味もない。
それでも、塵は互いを求め合うことをやめないのだ。
こうして苦しんでいる私に
優しい言葉をかける家族がいてもいいと思う。
オマエもそう思ってみたらどうだろうか。
たまには甘え、慰められるのもまた宇宙の塵の活動ということで
いいんじゃないだろうか。
なぜ歯を磨いていたのにこんなことに──
つまみ食いが度を過ぎたのだろうか。

妹たちの見本になるべく、
先頭に立って歯を磨いてきたものだが、
どうやらもう、立派な姉として
家族の見本にはなれないようだ。

とはいえ、
家族を引っ張っていく頼もしい背中を
春風やヒカルや
オマエに期待するのは
まだ少々不安があるな。
姉として、
弟や妹に甘えることはあっても
そう簡単に越えられてしまうつもりはない。

オマエがどんなふうに育てば、私を越えたと認めてやれるか
それはオマエが考えなければいけない。ヒントはやらない。
もしかしたら、私も意地を張って、
越えられたことをいつまでたっても認めないかもしれない。
だが、もうしばらくはいらない心配だ。
まだまだかわいいところばかりでできているような弟や妹たちに、
もう少し、私がかっこいいところを見せてやる場面もあるだろう。

せめて、この虫歯をごまかさず
恐れることなく歯医者に向かい、
堂々と治療を受ける背中を
小さい妹たちに見せてやろう。
それが、虫歯になった私が
家族に示してやれる姿だ。

あの恐ろしい治療に
私が力尽きるときが来たら──
愛していると家族に伝えてくれ。
まあ、歯の治療ではなかなか死なないと思うが。
それから、もちろんオマエも愛する家族だ。
しかし、こんな状態に便乗するのはロマンがない。
またの機会にしよう。

霙の偽日記

『赤鬼はじめました』

この家に、
悪い子はいないか?

フフフ──

これは微妙に違うな。

それに、
オマエは家族たちが認める
満点お兄ちゃんのようだから
私に悪い子をさらっていく権利があったとしても
簡単に私のものにはできない。

だが、いいお兄ちゃんだったとしても
いい弟であるかどうかは別問題だ。
困ったときには年長を頼り、
姉を規範として、正しく行動しようと心がけ、
何より、姉を尊敬し、その指導を仰ごうとする謙虚な姿勢が
オマエにあるだろうか?
まあ、その生活態度の結果は
当日のお楽しみとしておこう。

というわけで、
私が節分の鬼を任されることになった。
例年なら、イベントに張り切るのはあまり気が進まないが、
蛍が製作した赤鬼の全身タイツが
なかなかの出来だったものだから、
これはと思った。

普段から、何事も塵に帰る儚いものと決めていても──
やはり年頃の女子高生でもあるからな。
ファッションには胸がときめくものがある。

パーティグッズとして売っている全身タイツは、あまり感心した出来ではないが、
さすが蛍の手にかかると違うな。
まず色合いからして違う。
私の愛する小豆色を思わせる魅力を発揮しながら、その深みには赤鬼の風格もある。
絵本の中の赤鬼を思わせる、大物感のあるこの輝き。
誰でも一目でわかるこの威圧感、迫力。
ただの赤ではない、別の色でもない。
まさに赤鬼のために用意された赤と呼ぶにふさわしい。
見た目だけではない。
着てみてわかる、長時間動いても不快にならない作り。
こういう細部に気を使えるものこそが本物だ。
素材には相当にこだわっているようだな。
今日もずいぶん気温が上がったが、この全身タイツだけは別格だった。
まさに、節分の鬼をつとめるために作られた逸品。
節分という伝統と、見事な蛍の腕が生み出した芸術品だ。

それにしても、試作品を次々と着替えることになったこんな日に
妙に気温が高くなったのはなんだったんだろうな。
何度かシャワーを浴びるくらい、汗で蒸れてしまった。
私は自分でも知らずに
天の神様の気に触ることでもしただろうか?
全てはいつか滅びるものと受け入れ、
定めに身をゆだねて、
塵に等しい少々の快楽の他は何も求めず、
品行方正に暮らしているというのに。
そうか、きっと、天の神様が私を憎んでいるわけではない。
逆に寒いほうが体調を崩す心配があって危険だった。
むしろこれは、寵愛と言っていい。
私を愛するあまり、少し張り切りすぎてしまったかな?

まあ、それは冗談として。
蛍の手になる衣装は、実はもう一つある。
こちらは青鬼だ。赤鬼と負けず劣らず、なかなかの完成度になっている。
着用者の候補は、オマエとヒカルだ。サイズもそれに合わせてある。

今年はオマエにも、選ぶ自由がある。
いつもやっている鬼を担当するか。
たまには豆を投げる側に回ってみるか。
好きにするといい。
もしも鬼を選ぶというのなら、
この輝ける青鬼の全身タイツが
いつでもオマエを歓迎するだろう──
ヒカルと取り合うことになったら、話し合いかジャンケンだな。

ところで、
天気予報によれば、明日から急に気温が下がるという。
家族たちの体調を心配する一方で、思うことがある。
急に何の話だろうと思うかもしれないが、
一般に、長期的な視野で天気を予測することは非常に難しい。
私は気象予報士を目指すつもりはないが──
バタフライ効果の例えもある。
あまりに規模の大きい複雑系は、人類の知恵でどのように扱えるのか?
カオス理論の話まで行ってしまうと、天気予報とはまた分野が違うのか。
もしも、蝶の羽ばたきが天候にまで影響を与えるなら、
私の唇の動きだって同じだろう。
これからもこの家に幸福が訪れるように、と願いながら口に出す
鬼は外、福は内、の繰り返しが、世界の営みに関係する可能性は考えられる。
私たちの祈りが、結果を出せるものだと
いつかは科学的に説明できるようになるかもしれない。
だから、塵のように儚い私たちが
節分に祈りをこめることは、間違っていないんだ。
誇るべき日本の伝統行事だ。

そんな雑な理屈で吹雪をからかって遊ぼうと思ったが、
やはり知識量ではまるでかなわず、すっかりやりこめられてしまった。
あの冷静な子が元気に豆を投げるところを見たかったのに。
オマエの意見はどうなんだ。
いや、元気な吹雪のほうではなく。
私の考えはやはり、強引すぎるかな?

まあ、
どんなに強引な理屈でもいい。
私たち家族のところに、たくさんの幸福が訪れて欲しいものだな。

今日は暖かかったからと言って油断せず、
体調には気をつけるようにな。
こんな日に風邪でも引いてしまったら──
明日は邪気を祓うために、どれだけ豆を投げられるか分からないぞ。
私も体調を管理するために、
少し甘いものでも食べてから、休むことにしよう。
うん、それがいい。
オマエも付き合ってもいいぞ。
いやあ、健康な体を維持するというのも一苦労だな。

霙の偽日記

『滅びの定め』

止めようとしても
止められないものが
たくさんある。

やがて宇宙の全てが
塵に返る定めもそうだし、

麗の好きな電車が
引退していくこと──

増加を続ける
立夏の体重──

ツイスターゲームの途中で崩れ落ちる
運動不足の体──

それから、
愛するものへと突き進む
ひたむきな思い──

蛍の様子が少しおかしいとしたら、
原因は私だ。

愛する気持ちは止められず、
あんこに向かう思いが溢れ、
どれほど小豆が至福であるかを
微に入り細に入り
余すところなく
昼夜を徹して訴え続け、
ついに真実の愛は
あまたの困難を乗り越えて
成就する──

というわけではなくて、

そういえば小豆もマメの一種なんだし
節分も近いし、あれで厄が祓えるなら
さくらも少しは怖がらないでいられるのではないか?

と、
自分でも
それはないだろうと
思いながら
雰囲気で適当なことを言ってみたら、

蛍が真に受けてしまった。
言っておくが、何の効果もなかったとしても
私は責任は取れないぞ。

思うに、もともと節分は
せっかくの行事なのに、蛍の腕を振るう部分が少なくて
物足りなかったんじゃないか。
恵方巻に力を入れてみるくらいだ。
しかもあれは、無言でまるかぶりだ。

そういうわけだから、
豆なら何でもありの勢いで、
大豆料理も試しているようだし、
豆乳なんて小さい子の好みではないだろうか、
コーヒー豆と合わせてカフェオレにしたらどうだろうかと、
張り切っている。
しかし、コーヒー豆はマメ科ではないが、いいのかな?
まあ、もともと私の根拠のない思い付きが発端だから
いいも悪いも何もないんだが。
縁起物だし、おめでたいことなら特に難しい話はいらないんじゃないかな。
いろいろやらせてみてもいいと思っている。

もちろん、小豆尽くしも
蛍の冗談だ。
私と違って料理上手な蛍のことだ、
しっかり考えてやっているし、大丈夫。
大丈夫だと思う。
もし大丈夫じゃなかったら、
その時はその時だ、それから考えよう。
頼むぞ。

何もあんこを愛していると
伝えたわけじゃない。
それは、もちろん、愛しているが
何をおいても一番というじゃない。
いざとなったら、あんこがなくたってかまわない。
私がこんなことを言うなんて、驚いたか?
別に普段から出し惜しみしているつもりではないんだが。

私はさくらのことを愛している。
泣いたりすることはこれからもたくさんあるだろうが、
私たち家族が支えてやれることがあったら、何もためらわずに手を差し出すつもりだ。
幸せになって欲しい、と私は願う。
あの子がやがて、真剣に願う幸せがどのようなものになるのか、まだ誰にも分からないが、
確かなことは、さくらがこれからどんなふうに大きくなっていくとしても
私は変わらずに愛し続ける、
ただそれだけだ。

私は蛍のことを愛している。
いつも私たちを喜ばせようと腕を振るって、
私たちが喜ぶと、自分のことのようにうれしそうに笑っている。
もしかすると、自分のこと以上に──
努力家で、たくましくて、それでいて無邪気でかわいらしい。
愛くるしい妹だ。
ときどき鋭いところもあって、意外と油断ならないのも
蛍の愛嬌だな。
もしも、蛍が料理を作らなくたって、私は蛍を変わらず愛していただろう。
ただ、私は今、こうして私たちと過ごしている蛍を
他のどのような例え話の中の蛍よりも
深く愛している。
それだけが今の真実。

やがては塵になって消えてしまう
ちっぽけな思いだ。

愛して止められない気持ちが起こす
不思議な事態だな。
やけに小豆料理が多くなったのは予想外だったが
たとえどのような展開になっていたとしても
私が幸せであることは、あまり変わらなかっただろう。
本音を言えば、子供みたいにメニューにわくわくする喜びを
久しぶりに思い出して、楽しかったかな。

マメのことで言えば、
ピーナッツバターの研究もしているようだから、氷柱の好みだ。
今度は氷柱が喜ぶ番かもしれない。
あいつもそんなふうに、一日が幸福で満たされれば
少しは丸くなるのだろうか?
あの年頃の娘が気にするちっぽけな、本人にとっては大事なことなんて──
誰かを愛する大きな気持ちの前では
いつか消えるどころか、はじめから塵に等しいものでしかないと、
氷柱もやがて気がつくかもしれない。
それとも、氷柱も気がついているかもな。
人を愛する気持ちを大事に持ち続けながら、
それでもなお、塵に等しいと分かっている
自分のちっぽけな思いを抱えることを選びたいのかもしれない。
あの子なら、それができるのかな。
できなかったら、それはまたその時だ。
頼むぞ。

オマエも、何かを愛しているだろうか?
止められない思いがあるだろうか。
私が何をすることも、止められないと分かってくれるだろうか?
私はオマエを愛している。
ずいぶん離れて暮らしていたからなのか、
他のきょうだいたちと比べても、かわいがってしまいがちだ。
愛情に差があるとか、
優先順位があるとかではない。
難しい理屈は何もない。
どんなことがあっても、オマエを愛している。

愛することに理由などない。
ただ、愛しい。
だから愛する。
私の愛は、そんな感じだ。
家族だからというのも、関係ないような気がしてくるほど
私は家族の全員を、自分でも止められない気持ちで愛している。
オマエを愛している。

ときには、愛がなかなか分かってもらえなくて、つらいときもある。
愛するもののために、悲しさに涙を流すことも、当たり前にある。
でも、全ては塵になってしまう定めだ。
愛する気持ちも、幸福も、いつかは必ず塵になる。
どうせ何もかも同じものなら、
私にとって、少しは大事に思えるものを選んでみよう。
だから私は、
この肉体が塵となって消える最後の瞬間まで
オマエを愛し続ける。
それを止めることは、誰にもできない。

オマエはどんなふうに、家族を思っているのかな。
私はオマエになって行動することもできないし、
どんなふうに行動して欲しいと強制することもできないが、
もしも愛してくれているのならば
その気持ちを存分に見せ付ければいい。

口に出したら変わってしまう思いがあると、知らない人は言うが
そんな思いくらいでうちの家族が満足してくれるなんてありえないと
オマエならよくわかっているはずだ。
だいいち、どんなに一生懸命に愛しぬいても
もっともっと
まだ足りない
たくさんちょうだい
と、いくらでもオマエの愛を待っている子ばかりだ。
あの子たちを愛したいと思うなら、いくらでも愛してあげてくれ。
大変なことはあるだろう。
でも、愛する苦しみも、愛を伝えられなくて後悔した出来事も
すべては塵に等しい。
何があっても、やめることはない。

まずはそうだな、
珍しくいいことを言った姉に
とりあえずお礼を言うことから
始めたらいい。

何事も、素直な気持ちから始まって、
素直な気持ちだけが、私たちを導いていくのだ。

さあ、
いつでもいいぞ。


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