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吹雪の偽日記

『朝顔』

今日は、朝顔の話をします。

物理学の分野において
エネルギー保存の法則は例外なく成り立ちます。
理由のわからない場所からエネルギーが発生することはなく、
また、エネルギーがどこへとも知れぬ場所へ
忽然と消滅してしまうということもない。
したがって、この世界は全体を数式によって正確に表現することが可能であり、
生命もまた、数式の集合体であると予想できる。
ただし、気象予想に関係するカオス理論などが説明するとおり、
理論的に可能であるということは、ただちに実現できるとは限らない。
生命は無数の要素が絡む不確定性のかたまりである。
そのため、成長を予想することは現時点では不可能です。
計算機の発達が成功を続けても、追いつける気配もない。
今後も生命は、長く神秘の霧に閉ざさ続けるでしょう。
しかしそれは、いつか全てが解明される日が来ない、ということを意味はしない。
すぐに結果が出るものではないと分かっていても、
いえ、それは永遠に近い年月続くと思われる秘密に挑む
ただの無謀だと知っていても
試みをやめない。
私もまた、匹夫の勇に踊らされる一人に過ぎない。
分かっているということは、やめるという理由にはならない。
人の理性の限界が、常に挑戦の限界を意味するものではないと考えます。
果たして、小学二年生の知識量と調査環境で、どれだけのことが明らかになるのか。
朝顔は興味深い研究対象です。
学習した通りに種をまいて育てれば、
学習した通りに芽を出して伸びる
一見単純な構造の生命体でさえ、
同じ鉢植えの環境下で、同じ太陽のエネルギーを浴びて育つのに
どうして様々に個性的な成長をするのか、不思議です。
まず発芽しやすい条件か、そもそも種によって違いがあり、
芽が顔を出す順番にも少しずつの差があり、
つるを伸ばす速度もまちまちで、
用意してあげた支えにどのようにつるを巻くか、
性格によるものかと疑うほど、千差万別。
もちろん、花が咲き始めるまでの期間も
花の数も、一つのクラスだけでも様々な例が存在します。
私が今年、学習教材として育てている朝顔は
数が少ない成長をします。
終業式の日、学校から持ち帰った鉢植えを庭の花壇の空いた場所に置いて
現在、遠くから見ると、やけに緑色の範囲が広い
花壇にしては不思議と一色だけに偏って見える部分があったら
それは私の朝顔です。
つるは丈夫です。
学校で教わったとおりに水をやっても
姉たちの経験に基づくアドバイスを実行しても
名前を付けてやって愛情を示しても
つぼみをつけることもありません。
ちなみに名前は、
赤い朝顔が関羽、
ピンクの朝顔がサマンサ、
次に花が開いたらその場合はアントワネットになる予定です。
毎日記録する観察日記では、緑色のクーピーのみ消費が激しい状態で、
姉たちが自分のパレットから喜んで分けてくれたピンクと赤のたくさんの色鉛筆は
王子様との出会いを待つ森の美女のように
パレットのすみっこで身動きもなく眠っています。
今まで家族の誰も経験したことのない事態。
19人姉妹の12番目で初めて遭遇した、稀有な謎です。
何が原因なのでしょう?
もともと、こういうことはよくあるのでしょうか?
いつか、この不思議な成長の理由が
エネルギー保存の法則によって解き明かされる日は来るのでしょうか。
それとも、この成長もまた、朝顔の正常な発育の一種なのか。
成長が遅いだけかと思っていましたが
もしかしたら、こういう性格の子なのでしょうか。
関羽とサマンサは。
もう、よく育つつるのほうに思い入れがある状態になってきました。
名前を付けて
こっちも愛情を注いでやるべきなのでしょうか?
我が家では今年も、一週間くらいの家族旅行を予定しています。
その間は、おとなりの奥さんに朝顔のお世話をお願いすることになっています。
話をしたところ、快く引き受けてもらって、
朝顔の世話には自信があるとのことでした。
小雨姉と時々家庭菜園の相談をすることもある関係です。
おとなりの奥さんは、植物の栽培に関しては名人と言っていい腕前。
もし、関羽とサマンサの成長が遅いか
それとも私の育て方がうまくなかったなどの原因で
家族旅行から帰ってきたときに花盛りになっていたとしたら
私はとても複雑な気持ちになると思うのですが
どうしたらいいのでしょうか。
いえ、それならばいいのですが、
逆に、帰ってきたときに万が一、今の花が枯れてしまっていたら
ただでさえ少ない花のことで、衝撃は大きいと予想できます。
関羽とサマンサが元気であるように、よく頼んでいますが
なにしろ生きているものなので、
現在は生存さえも数式で計算できるものではありません。
名人が手を尽くして枯れるならあきらめるべきなのでしょう。
しかし、できれば、未熟な腕前であっても
私が最後まで面倒を見て、こだわっていたい気持ちがあります。
不合理な思考ですね。
生き物ならば、最後まで生きるために尽くしたいであろうに。
私の手で育てられて、この子は幸せなのでしょうか?
ともかく、しばらくは私の手から離れることになります。
どこに旅行に行くにしても、朝顔は持っていけません。
旅行先を決めるじゃんけんは、明日の予定です。
なるべく早く帰ってこれる旅程を提案したくて、
少ない日数でも満足できるようにと、移動範囲を近場に絞って
星花姉は中華街に、
麗姉は都内の路線に、
海晴姉は近場の温泉地に──
協力を頼んでありますが
今はまだ優勢とは言えません。
夏の海水浴は、あまりにも強い誘惑のようです。
これはもはや、ひとつの欲望と言っても良いでしょう。
海水欲です。
それはともかく。
家族旅行は大切なもの。
本当は、どこに行くか、何をするか、
楽しめるか、ということよりも
大事な人を思いやることができて
愛する人の、普段はなかなか見えない新しい姿を発見して
お互いが、今までよりも大事になる。
そんな旅行になれば、理想的だと思います。
そのためには、予定を立てる段階から正直に意見することが大事だと
教わっています。
私は、この家で過ごす生活を大事に思っています。
たとえ朝顔がなくても、それは変わりません。
今年はたまたま例外的な動機があるというだけです。
夏の家族旅行が、格別の魅力を持っているものであることは否定しませんが
規模の大きい旅行に限定する必要はないということが
私の提案です。

吹雪の偽日記

『メリーゴーランド』

新学期が始まりました。
私は今年から、小学2年生です。

国語、算数、
理科、社会、
体育──
そして給食。
すでに知識のある分野も
そうでない分野も、豊富です。
もらったばかりの新しい教科書を開くと、
これから一年、この教科書を友として
未知の世界に歩み出すのだと実感します。

正直なところ、
知っているのにまた学習する義務は億劫です。
興味深いことは多く、世界は限界なく広い。
知れば知るほど、新しい謎を発見し
また私の庭は広がっていく。
なぜだろう、
なぜだろう、
どうなっているのだろう。
その疑問に、小学校の教育が答えられるとは思えません。

しかし、不満を言っても仕方がない。
それよりも、今は、私の兄と姉たちがみな経験したという
小学校そのものに興味を覚えます。
同じ教育を受けて、なぜこれほどまでに
異なる個性を形成したのか。
私と一生を共に過ごすこの特別に興味深いもの、
家族、
そのひとりひとりを現在まで育てることについて
いかなる役割を果たしたのか。
それは文部省の学習指導要領によるものか、
あるいは、そこで過ごした別のことに意味があるのか。

キミはどのような小学校生活を送ったのですか?
男子は、幼い時期はたいてい無茶をすると聞きます。
何かしましたか?
無知と野生の衝動に駆られるまま
危険なこと、非道徳的なこと、
家族に話せないことをしましたか?
疑問です。非常に考えにくい。
いけない経験によって、好意的かつ一般的と思える人格が育まれるものなのか。
何があったとしても、小学生時代のこと。
今のキミへの評価を変えることはないので
正確に、全ての情報を公開することを望みます。
必要なデータです。
去年は、私のクラスでスカートめくりが流行しました。
不愉快な行為です。
あれは良くないことです。
いけません。
ただ、知識欲を止められない気持ちは分かります。
過激であるということはつまり、密度が濃厚な交流手段のひとつでもあります。
しかし、同意を得ないでしてはいけません。
そもそも、同意を得ても、そんなことをしてはだめです。
私たちは小学生なのですから。
いえ、大人になれば同意を得た上で可能な行為なのか、それは知りませんが。
とにかく、小学生が控えるべき反社会的行為です。
私は家族から学んだ経験によって
まずは話して聞かせること、
相手の気持ちになるべきと私たちが学ぶように、
相手にも私の気持ちを想像するよう、促しました。
気分を害していたため、冷静な口調ではなかったかもしれません。
気持ちをわかってもらえるようにと心がけて伝えた、というか
説教した結果、
叱った本人だけでなく、かつて被害にあった周りの生徒たちからも
あねご!
あねご肌だ!
と、慕われるようになりました。
あねごは、面倒見がいいのだそうです。
そうでしょうか?
私は家族の中でも、好んで人に干渉するほうではないと考えます。
学校を基準とした生活集団では違うのでしょうか。
快適だとか、自分に都合が良いばかりでもありませんが
発見も多い、実りある小学校生活です。
今年から2年生に進級し、
学校生活において、名実共におねえさんとなります。
また学ぶことも多いでしょう。

キミはスカートめくりをしたことがありますか?
とても困る行為なので、なるべく避けてもらえたら助かります。
どうしてもと言うのであれば、家族のことでもあるので、真剣に考えます。
考えるというのは、許可するという意味ではありません。
その行為がどのような意図から出ているかを観測し、
他人では許せないことも許し、
なるべくなら、よい交流ができるようにしたい。
愛することは理解であると霙姉は以前に言っていましたが、
そうなのでしょうか?
私はキミを知りたいと思います。
現時点では、何よりも好奇心を刺激される存在です。
愛なのでしょうか?
あるいは、知識欲?
男子がスカートの中身を知りたがるように?
不快なら言ってください。
これが許されない行為だとしたら、別の手段を探します。
学校では教えてくれないかもしれませんが。

大人になるために、小学校が必要であると考えられているようです。
毎日の学習で得られたことを大事にしようと思います。
学校が始まる前、
名残惜しい春休みの終わりに、
立夏姉たちは、買い溜めたおやつの食べおさめをしたそうです。
私も参加しました。
春休みはやはり特別な時間であったと、寂しさを感じたからです。
これまでにも何度か経験した、隙間風が吹くような大事な日々の終わり。
終わって、また始まって、次の終わりに通過する場所は
また同じなのか、それとも──
なるべく控えめに参加していたのが私と麗姉の二人。
なのに麗姉は、久々に袖を通す制服が
少々きつかったためにショックを受けていたようです。
しかし、成長することは止められないし、歓迎すべきこと。
私は、
大きくなれませんでした。
もう少し、暴飲暴食を、
いえ、成長期を待つことにします。
大人になったら海晴姉の後を継いでお天気お姉さんになって欲しいと
期待されています。
霙姉は、私が生徒会長になったら面白いだろうと言っています。
面白いとは、どういう意味の面白さでしょう?
これは期待されているのか、からかわれているのか。
キミは私に、どんな未来を期待しますか?
真剣に考えます。

吹雪の偽日記

『嘘』

嘘はよくないことです。

しかし、嘘と真実を見分けることは困難です。
たとえば、科学の分野では信じられないことが良く起こります。
液体ヘリウムの粘性がゼロになることで起こる超流動。
水星の近日点移動が計算に合わないことから導き出された
重力と時間に関する新しい計算式。
超伝導は実際に確認されている現象ですが、
常温超伝導の観測は間違いであった?
人の常識は、簡単に覆されるもの。
地球は丸いのか。
私たちは、太陽の周りを回っているのか。
トロイア戦争は実際にあったことで、
シュリーマンが発掘した遺跡は本当にイリアスだったのか。
アリストテレスの詩学では喜劇はどのような位置づけだったのか。
詩学の欠損部分は、あの論の趣旨を大きく覆すものなのか。
ならば、ミロのビーナスの両腕部分もまた
本来の姿をとりもどしたとき、私たちの想像と違う意味を持つのか。
語られていないということは、厳密には嘘とは表現しません。
しかし、伝達過程で誤情報が混入することはありえます。
意図的でなくとも、嘘とどう違いがあるのか。
伝言ゲームはそれを楽しむ遊びです。
そしてまた、人間は嘘を楽しむ習慣があるようです。
しかし、天気予報で嘘をつくのは
視聴者を非常に困惑させるいけないことであると
海晴姉は妹たちの面白半分の提案を却下していました。
私も、それはいけないと思います。
雨に濡れてしまったら、健康に良くない影響があり、
体が弱い人や、疲労が蓄積している人には
命に関わる危険もあります。
楽しめる嘘の範囲とはどこまでなのか?
許される嘘とは何なのか。
あるいは、嘘と真実の境目はどこにあるのか。

キミは、私に嘘をついたことはありますか?
私は嘘を見抜くのは苦手です。
家の庭にはピンクのシマウマが闊歩しているかもしれないし、
シマウマの日は、しまうまうまの語呂あわせである可能性はある。
嘘と断言できる要素は、この世のどこにもない。
また、真実であると疑いなく受け入れることができる事実も
数は少ない。
ニュートン物理学が拡張されたように、
より正確な別の物理法則が成り立つことがありえる。
ラプラスの悪魔は量子論の不確定性原理によって否定されたように見えます。
しかし、現在の物理法則が完全なものである保証はない。
というより、そのほころびを示す観測は多くあります。
それらの観測が全て単純なミスだという可能性と、
現在の私たちの知識は不十分なものとする考え方は、
同じように蓋然性がある。
どちらかが間違いであるか、どちらも間違いであるか、
それとも、どちらも本当であるということが成り立つのでしょうか。
論理的な立場で言えば、ありえない。
しかし、現在の論理学が完成されたものであるとは限らない。
嘘つきはいったい誰なのか。
意図的な嘘もあれば、意識しない嘘もある。
単純なミスは誰にでも避けられず、慎重である姿勢は求められますが
非難されるべきではない。
ヴェリコフスキーの荒唐無稽な説は、確かに疑問だらけです。
では、彼が唱えた嘘と、現実の脅威の間に、どこに区別があるのか。
意図的な嘘や明らかな知識不足による迷惑を許容できるとは限りませんが
いったい、許せる嘘はなんなのか。
罪もなく、笑って受け入れることができる嘘が良いとするならば
ヴェリコフスキーの一見して間違っている説は
ただの冗談で終わるはずだったのではないか。
人類が月に行かなかったという説も、
源義経が大陸に渡ったという説も、
明らかに勘違いだらけなのに、どうしてこれほどまで議論の対象になるのでしょう。
長篠の戦いで鉄砲の三段構えが勝利の決め手となったのは嘘で、
そもそも、武田家の騎馬軍団は実際にあったのかどうかも疑問視されている。
名馬の産地であることは間違いないのですが、
軍馬として組織されていたかどうかは、疑問の余地があると。
しかし、勇壮なイメージの武田軍とは相性がいいようで、
桶狭間の戦いにおける織田信長の革新性などの印象もあって
伝説として、好意的に受け入れられているようです。
許される嘘なのか、
正しい歴史を知ることが望ましいのか。
三国志は、演技の内容は歴史と違っていることもあるようですが
そういうものだとして、熱心なファンがたくさんいる。
星花姉の意見を聞いてみたいです。
しかし、明日は疑心暗鬼の日ですので、議論には向いていないでしょうか。

休日には公園に出かけることも多く、
私も、小さい子を見る役目を引き受けたいのですが
時期的に、今は子供が多く集まっていて
おまけに明日はどのような誤情報が飛び交うかわかりません。
罪のない嘘ならばいいのですが、
天気のこと、遊具の使用法、トイレなどの施設は
深刻に関わってきます。
また、ベンチにペンキ塗りたての張り紙があったらどうするのか。
笑い事ではありません。
子供を休ませる場所を安全に確保できるかは、非常に重要な課題です。
また、ほこりが苦手で、この時期にはあまり外出はしたくないと思っています。
明日は保護者役を断って、家にいるつもりです。
家の中でだまされるくらいであれば、問題も少ないでしょう。
私が無条件に信じていることはあまり多くありませんが
家族の言葉が、どのような嘘が含まれているとしても
私が受け入れるべきであることは、疑問を持っていません。
ただ、子供の嘘が苦手だから子守りの仕事を断りたいとお願いしたら
説得力がないでしょうか?
我が家では麗姉に対しても日記への参加を要請したように
荒療治も時折行われ、それが成功する場合もあります。
むしろ外に出て、多少は嘘にもまれてきたほうが良いとする考え方もあるでしょう。
しかしやはり、私は気が進みません。
家族の説得に協力してもらえますか?
どのような事態になったとしても、キミの援護を期待しています。
願わくば、嘘を見抜く助けとなり、
そして共に同じ冗談を笑い合える人を。

吹雪の偽日記

『雨の魔法』

科学には様々な法則が存在します。
質量保存の法則は、ニュートン力学においては正しいとされていましたが
現代では、実は完全な説明ではなく
近似的なものであったことがわかっています。
光の速度に近づくと、物質はそれまでの法則では説明できない
振る舞いをすることがあるからです。

現代物理学でもまだ解明できない謎はたくさんあります。
もしも、現時点で提出されている全ての謎の正体が単なる間違いであったとしても、
これから先も解明不能な謎が出現することはない、とは言えません。
科学の歴史は、古い常識が新たな発見に覆されることの繰り返しです。
もちろん、多くの場合は体系的な科学に従った常識的な解釈が正しいようです。

夕凪姉が、言語と身振りによって願望を果たすことを試みたとして、
それが必ず成功すると保障する物理法則は、
今のところ発見されていません。
しかし、今後も見つからないとは限りません。
もしかしたら、今でも時には成功しているのかもしれません。
いくつかは夕凪姉が意図した通りではなく、偶然によるものと考えられますが。

雨降りの日を、
今年最後の雪遊びの日に変えようとする今日の魔法は
どうやら成功しなかったようです。
今日は、各地で春一番が観測され、
春の始まりを告げるような暖かい日でした。
夕凪姉の力では、天候まではなかなか思い通りにならないのでしょう。
あるいは、春を待ち望む人が、さらに強力な魔法をかけたのかもしれません。
私は考えたのですが、
魔法の成功とは、常に願望の成就という結果を迎えます。
もし、同程度の魔法の力があり、それぞれが相反する願いをかけた場合、
科学的な解釈をすれば、その時点でパラレルワールドが発生すると思われます。
魔法が成功した別の世界が、魔法の数だけ誕生し、
枝分かれしていくのです。
そうではないとすれば、魔法にも力の大小を体系化できる理論が存在するか、
単に夕凪姉の魔法が失敗しただけであるか。
今の時点では、判断する材料がありません。

明らかに科学と相容れない考え方によって重ねられた
錬金術の研究が、後に現代科学の重要なきっかけとなったように、
夕凪姉の一見無謀と思える挑戦が、
やがては人類の未来に必要な法則を発見する礎になる、
そんな可能性もないとは言い切れません。
また、仮にそんな法則につながらなかったとしても、
何も不満に思うことはありません。
夕凪姉の存在が、私たち家族にとって必要であることは変わらないからです。
無謀な挑戦を繰り返す姿も含めて、
私たち家族は、夕凪姉と過ごすことでかけがえのない日々を過ごしています。
少なくとも、私はそう感じています。
私の家族は全員が、誰一人として欠けてはならない大事な存在であると。

春の兆しが見えたとはいえ、
明日は風が強く、寒い日になるとの予報です。
もしかしたら、また雪が降ることもないとは言えません。
キミも最近暖かいからと言って油断せず、
毎日の体調管理には気をつけてください。

急な寒さに、誰かが風邪を引くようなこともなく
毎日を無事に過ごすことができたなら、
私たち家族にも、まもなく雛祭りの日がやって来ます。
いえ、日付上の雛祭りは、その時点で存在する全ての物質が体験します。
正確に言うなら、私たちには、家族で過ごす楽しい雛祭りの日が来る、ということです。
その日が激烈な体験になるのか、心穏やかに過ごせる日となるのか、
いずれにせよ、家族にとって良い雛祭りになることを祈ります。
祈りが物理的な効果を発揮する法則も、今のところは見つかっていません。
できることがあるなら、家族の準備を手伝うほうが効果的です。
何度も雛祭りを体験してきた、頼れる先輩がこの家には多くいますので。
キミも、女の子のお祭りとはいえ手伝いをする機会もあるでしょう。
私は埃っぽい作業が苦手なので、時には頼ると思います。

女の子のお祭り──
女の子に含まれるとは言っても、
なんとなく、私にとっては縁遠いもののように感じるお祭りです。
雛人形を美術的に分析する審美眼も持ち合わせてはいませんし、
雛祭りの料理が特別に好物であると歓喜するほどでもありません。
ただ、雛あられはここ数日は家族内での消費量が多く、
菱餅もちらし寿司も、当日分の分配を多く取ろうと狙っている子がいます。
人気の食品なのですね。
もしキミも希望しているなら、早めに言っておくと良いでしょう。
女の子が中心のイベントということで、もらいにくいようでしたら、
私がもらってきて分けることもできます。
いらないですか?
あまり好きではありませんか?
女性の好みに合致した食品なのでしょうか。
私は女性的な趣味や特徴といったものがあまりないので、
判断ができません。

なんだか家族がそわそわして、
うきうきと準備をしているような気配に、
自分の誕生日が近いことを知っている青空が、
つられてはしゃいでいるようです。
イベントの日に偶然生まれただけですが、
青空にしてみれば嬉しいことなのかもしれません。
しかし、氷柱姉の発言を参考にすると、
何か特別な日に生まれることが、必ずしも嬉しいこととは限らないようです。
青空はこれから、この日をどのように思うのでしょう。
今のように望ましいものとして? それとも、疎ましく?
雛祭りの日に生まれたから、特別女性らしくなるとする信頼できるデータは
今までに見たことがありません。
姉妹のうちでも非常に勇敢で、積極的な傾向がある青空が
女の子の成長を祝う日に生まれたこと。
何かの意味があるのか、ただの偶然なのか、まだいずれとも言えません。
氷柱姉は、不快な日に生まれたことを嘆いていますが、
誕生日と記念日との一致が偶然では終わらず、何かの意味を持つこともありえます。
あまり不快な日を過ごすというのも望ましくありません。
ホワイトデーはどうしても男性が関係する可能性が高くなるイベントです。
氷柱姉が自分の誕生日をどう感じるようになるかは、キミにかかっているでしょう。
青空にとっても、今年の雛祭りが良い日になればいいですね。
これは、私たち女性陣にかかっているでしょうか。
私は女性らしくないので、あまり力になれないと思います。

雛祭りを迎えるにあたって、実は一つ重大な懸念があります。
私は学芸会が苦手で、また、積極的に大きな声を出すことをしません。
おゆうぎの歌も、音楽の授業も、特別に楽しんだ記憶はありません。
ひょっとしたら私は、歌があまり得意ではないのかもしれません。
小学校の高学年になって、クラスで合唱に参加するようなことを考えると、
今から不安です。
雛祭りは歌って楽しんで、という場面も見かけるイベントです。
一人で静かに本を読んでいるのは心安らぐ時間ですが、
決められたとおりみんなで家族行事に参加したいという意思も強く持っています。
もし私が楽しく歌うことを断ったら、みんなが疑問に思うことでしょう。
小さい青空などは驚いてしまうかもしれません。
歌うのがどうしても嫌だというわけではないのですが、
私には歌を楽しむ能力がない気がします。
立夏姉など、あんなに音程が外れても楽しそうだというのに。
楽しさとは、何なのか。
これもまだ法則は見つかっていません。
しかし私の考えでは、キミといるときに感じることが多いようです。
キミは私の苦手を克服する助けをしてくれるのでしょうか?
しかし、私が歌を楽しめるようになるとしたら、
それは本当に魔法のようですね。
現代の科学法則では見つかっていない魔法の使い方を、
キミならば私に教えてくれるでしょうか。
これまでの体験を考え合わせると、
その確率は決して低くないと思えます。

吹雪の偽日記

『パラドックス』

床屋のパラドックスについて考えています。

このパラドックスは
簡単に言えば──
いえ、簡単に言わなければ
集合論が苦手なうちの家族には理解しづらいのですが、
キミなら大丈夫でしょうか?
しかし、一定の基準に従っているほうが
行動は複雑になりすぎず、便利ですので、
私の家族にはまず簡単に言うことから試みることにします。

ある村にたった一人だけ床屋がいます。
この村では、自分のひげを剃らないものとします。
では、床屋のひげは誰が剃るのでしょう?

少し簡単にしすぎて、
これは正確な説明ではありません。
ともかく、誰かが床屋のひげを剃るほうが望ましいはずです。
伸ばしっぱなしでは、自身も、一緒に生活する人も、かなり違和感があるのでは。
剃らずに切るとすれば、やや見た目が野生的になりすぎるでしょう。
もしキミがそんなことになれば、海晴姉や小雨姉やさくらが困惑すると思います。
いえ、家族がそれでいいのならば、どうしてもとは言いませんが。
私としては、清潔さの観点から、剃るほうが有利であると提案します。
しかし、先ほどの仮定では、自分のひげを剃らないことになっています。
床屋は自分のほかにいませんし、今のところは新しい床屋も現れないようです。
さて、床屋のひげはどうすべきか?

パラドックスを回避する方法としては、
床屋は女性であった、
とするといいそうです。
何の矛盾もない、正しい説明ですね。
美しい論理です。
しかし、キミは女性ではないのでひげは伸びます。
ひげが伸びないように外科手術をするという奥の手もあります。
普通に抜いてもかまいません。
もともとの床屋のパラドックスは、もう少し文章が厳密なので
そういった逃げ道はありません。
女性説も、厳密な場合は逃げ道としては許されていません。
ただ、私が考えているのはもう少し別のことで、
パラドックスを回避する方法ではありません。
キミは現時点で床屋ではなく、
自分のひげを剃らない村の人間ではない。
それなのになぜ床屋と重ね合わせたのか、それは理由があります。

自分のひげを剃らない村とは何か?
過去にひげに関する問題が発生した?
それに類する言い伝えがある?
このパラドックスはもともと、集合論におけるラッセルのパラドックスを
別の視点から説明しようとしたものです。
つまり、このような習慣がある村の存在を前提としていません。
そこは説明不足なので、いくら考えても答えは出ません。
それなのに考えてしまう理由は、
自分自身のひげを剃ることを許されない床屋が、
別の姿に見えてしまったからです。
すなわち、
自分以外の何者からも愛を与えられない者は、
誰から愛を受ければよいのか?
恐ろしい話です。
この場合、いわゆる神の愛は別の話です。
ここで言う愛情は、人間から与えられるものです。
そして、自分では自分に与えられないものです。
床屋には、ひげを剃ってくれる相手がいない。
私はひげが伸びないため、近い男性であるキミの立場になってみましたが、
私を愛してくれる家族がいない想定です。
実に恐ろしいことです。

ヘンペルのカラスについて考えています。
カラスは黒い、という命題を証明するには、
その対偶を証明すればよい。
黒くないものはカラスではない──
これは、黒くないものを全て調べて、
その中にカラスが含まれていなければ成り立ちます。
つまり、カラスを一羽も調べなくても、カラスが黒いことを証明できる。
対偶論法の危うさを指摘する意図で提出された問題です。
世界中を調べることは、現実的ではないのです。
ある程度の範囲内であれば、この説明は無理なく成り立つのですが。
しかし、考えると疑問も生まれます。
私は、キミ以外を全て調べたとき、
キミの愛が実在することを確信できるのでしょうか?
一度も触れあうことなしに?
理論上では、そういうことになります。
愛とは、理論と別に成り立つものなのでしょうか?
だとすると、私が理論的に愛を理解しようとする試みは、
例外なく失敗すると確定しています。
だとしたら、私はなぜ試行をやめないのか?

もともと最初の生命が誕生したとき、
それはたったひとつきりだったはずです。
最初の生物はなぜ、増殖を試みたのか?
化学反応がもたらした、ただの偶然だったとする説もあります。
やがて、種族保存のために活用するようになった電気的刺激が
愛である、と考えられます。
愛はどの段階で発生したのか?
いえ、愛は本当に種族保存のためだけにあるものなのか?
それだけでは説明できないことがあります。
私であろうと、家族であろうと、
キミの子を残すなら、遺伝子はあまり変わりがないのに
どうして私の中に、独占しようとする感情が生まれるのか?

アキレスと亀のパラドックスについて考えています。
私が答えを出す前に疑問は次々とあらわれ、
永久に追いつけないように見えます。
亀が作り出した無限分割の世界にとらわれ、
私は永久に抜け出すことができないのでは──
そんな感覚にとらわれます。
この場合、亀の速度が明らかに早いことが原因なので、
パラドックスではありません。
一つでも答えが出せたら、私は満足できるのでしょうか?
全ての解を求める無謀な挑戦を続けるのかもしれません。
でも、もしもどれかひとつだけを求めるのだとしたら、
私が解き明かそうとしている問題は、果たしてどれなのか?
亀の背中は遠く、
私の歩みは遅い。
むしろ、私はアキレスに追いつこうとしている亀なのです。
より正確な例えをすれば、うさぎを追いかける亀ですね。
ただし、このうさぎは居眠りをしません。

これから私がどのような道をたどるにしても、
興味を持っているのはキミのことです。
私が力尽きるまでに、どれだけ解き明かせるのか。
キミは私を置いて先に行ってしまううさぎですか?
それとも、疑問を共に追いかけてくれる関係と考えてもいいのですか?
私がキミを研究したいこの気持ちを愛だとして、
キミが私に与えてくれる何かは、同じ愛だと理論的に説明できるのでしょうか?
いえ、同じ愛でなかったとしても、
それが私の求めているものであるかもしれない。
村の誰からもひげを剃ってもらえない床屋は、
ひげを剃ってもらえず、別のものを得るのかもしれない。
求めるものはパラドックスの解消ではないとして、では何なのか──
私が愛するように、キミから愛してもらえなかったとしても、
私はキミから愛を受け取っていることは確かです。

自分でも理解できない考え方ですが、
キミと一緒に探索を続けられるのならば
何ひとつ答えが出なくてもかまわない、という気持ちになるときがあります。

吹雪の偽日記

『ノーデータ』

例え話をします。

ここに、二種類の内服薬を入れた
二つの薬瓶があります。
外見を元に区別することはできません。

内容物の片方は、
確実な致死性がある猛毒。
もう片方は──

この薬品を服用した人間が、
望んだ人間から
必ず愛してもらえる効果を持ちます。

例え話です。

実際には、そのような効果を発揮するものはありません。

さて、
服用するまで区別がつかない
このような二つの瓶があるとして。

キミはどうしますか?
死の危険があるとしても
愛の達成を望むか。
それとも、このような不確実な試行はしないのか。

私の回答は──
可能な限りの手段をとって、二つの瓶を区別しようと試みるつもりですが
この例え話は、いっさい区別の手段はないと仮定するものです。

もしも私が、
勘に頼って中身を服用する、と言ったら
キミは止めるでしょうね。

だから、私の回答はあえて秘密にします。

もしも、この例え話に
服用を選ぶと回答する人がいた場合。

導き出される結論は、
愛が成就することは死の危険に優先する、
ということです。
これは、その人の考え方によるもので、
人の考え方は、社会生活の範囲内でその人の自由です。

愛は死に優先するか。
この命題が真であるかを証明するには、
対偶が真であることを証明すればいいということになります。

さきほどの例え話において
対偶とはどのような条件をさすのでしょう?
望みの人と愛し合っている状態を前提とします。
ある薬品を服用しなければ死の危険がある。
しかし、その薬品によって
肉体に変化が発生し、
その人との愛は、永久に失われる。
例えば、脳に影響があるとしてもいいし、
外界を判断する全ての感覚が失われるとしてもいい。

もちろん例え話です。

この場合に、死を覚悟してでも
愛し続けることを選ぶのか──
しかし、この例えは適当ではないかもしれません。
私であれば、もしも脳に損傷が発生しようと
キミを判断する感覚が一切失われたとしても
愛を失うことになるとは思えない。
愛せない状態というものが、考えられません。

愛を科学的に分析できない現在の状態で
何を言っても、
正確な予測にはなりませんが。

自分でも、なぜこのような例え話を思いついたのか
よくわかりません。

バレンタインデーが近づいてきました。
もしかすると、その関係でしょうか?
愛が非常に大事なものだとしたら
バレンタインデーに関わらず、いつでも求めるものであるはず。
では、バレンタインデーは
愛を伝える一つの手段に過ぎないのか?
他に愛を伝える手段が多く存在し、
人はいつもそれを行動に移しているのだろうか?
だとすれば、バレンタインデーのイベントにもそのヒントがあるのか?

いったい、
愛は、生き物にとって
どれくらい大事なものなのだろうか?

私は数学を学ぶことを好みます。
整った数学体系に魅力を感じます。
これは、数学というものが
世界を理解しようとする手段であり、
世界を、あるいは
何者かを愛そうとする手段だからではないか、
と、考えることがありますが
その判断が正確かどうかはいまのところ証明できていません。

数学を学ぶことで得た経験を参考に
物事を計測することが
現在の私は比較的得意です。

何か別の手段で
愛を扱う方法が他にあるのでしょうか。
私にはまだ推測できませんが、
その方法が実在するという根拠は
私の家族から与えられています。

いずれにしろ、
私が愛を充分に理解するためには
いまだに情報量は少なく、
完全な理解を達成する可能性は
ゼロに等しい状態にも感じられます。

おそらく、個人の研究では達成は不可能でしょう。
私はキミの助けを必要としています。
気が向いたときでかまわないので、
協力してもらえませんか。

これは根拠のない想像ですが、
私の研究の成否は、
キミの将来にも大きく関わってくると考えています。

吹雪の偽日記

『愛の性質』

愛に物理的な性質が
あるとします。

その場合、
愛の伝達とは
どのような仕組みで行われるのか?

愛の定義は様々ですが、
これまでの観察によると、
最低でも二つ以上の個体が
ともに愛を実感していることが
ひとつの条件だと考えられます。

話を分かりやすくするために
特定の個体ひとつをAと設定し、
もうひとつをBとします。

もしもAかBが人間でなく
例えば犬や猫だったら、
人間でない側からの行動が、一般的な意味における思いやりではなく
適度な食事を中心とした単なる快適な環境の構築であっても
愛は確実に成立します。
この場合でも、AはBを愛し、また、BもAを愛しているのです。

AかBの年齢も、愛において重要な要素となります。
0歳の女性が実感する愛と
18歳の女性が実感する愛とでは、細かい差異があるはずです。
お互いの性別も関わってくるでしょう。

そのため、ここでAとBに条件を設定する必要があります。
では仮に、どちらも同じく人間であり、
Aが16歳の高校生男子で、
Bが8歳の小学生女子だとします。
また、同じ両親から生まれていて、現在は一緒に生活していると想定します。
この場合、二人の間にどのような関係が成りたつとき
愛の伝達が成功した、と言えるでしょうか?
キミはどう考えるでしょう?

愛する人の言うことなら──
たとえどんな
恥ずかしい要求であっても、
一切の迷いなく
やりとげずにはいられない。
そんな関係が、二人の間に構築されている。
こういった感じでしょうか?

しかし、そう考えていると、
恥ずかしさは必要な条件ではない気がします。
愛を試す条件は恥ずかしさだけではないからです。

楽なことばかりではなくても
行動しようとすることがあり、
苦痛や悲しみを伴っていても
それらが楽しく、嬉しいものだと実感しています。

快適な環境を構築するよりも、
Aに対して何がしかの行動をとろうとします。

もちろん、
Aとはキミのことであり、Bとは私のことです。
ただし、あまり細かい条件が混じってくると
複雑になりすぎてしまうため、なるべく簡単にしました。

私はキミについてまだ知らないことが多いので
全ての条件を満たす設定は不可能です。
キミは、春風姉が言うように王子様なのでしょうか?
現時点では、王権を継承する予定はないように見受けられます。
あるいはキミは、星花姉が言う、天下に覇を競う君主なのでしょうか。
可能性は否定できませんが、
他の未来と比べて特別に蓋然性が高い予想でもない気がします。
どうなのですか?
キミは、私に何かを隠していますか?
それはいつか、私の前に明らかになるのでしょうか?

私たちの間に存在していると、
私が感じているこの愛は、
いったいなんであるのか?
計算を続けていけば、
すっきりとした式で表せるようになるのか、
果たして──

まだまだたくさんの時間があります。
私は小さい子で、キミもまだどちらかというと幼い。
気長に情報を集めていくことが許されている、と思います。
お互いを知る機会は増えていくでしょう。
私たちは家族なのですから。

今年のバレンタインが近づいています。
私は、キミに愛を伝えることができるのでしょうか?
自分でもはっきりしないこの感情を?

今年は、家族の行事として特に何かがあるとは聞いていません。
もし自由なら、これほどの困難である伝達に挑む義務はないのです。
それなのに、私を構築する感情の一つに、
キミへ愛を伝えたい気持ちがあります。
バレンタインに限らず、常に意識しているこの気持ちが
なぜか、特定の日付に向けて膨らんでいくのは不可解なことです。

私には理由は分かりません。
キミなら、あるいは答えを出してくれるでしょうか。

吹雪の偽日記

『ブリザード』

吹雪です。

いえ、私の名前も確かに吹雪なのですが。

気象用語での吹雪です。
北海道、北陸地方は、猛吹雪の予報。
突風にも注意とのことでした。

いくら私が比較的寒い温度を快適に感じるとしても、
最高気温が氷点下を越えない気候とはどのようなものかと
いつも天気予報を見ながら、考え込んでしまいます。
同じひとつの地図で表示される、身近な場所。

現代の移動技術を考えると、
日本国内程度であれば、どこであろうと遠さをあまり感じない距離だと考えています。
これは別に麗姉に語って欲しいという意味ではありませんが
語ってもらえるのであれば興味深く聞くことができそうです。

私や、私の家族が身近に接する場所。
その場所に滞在することも、在住することも、現実的に想像できます。
わずかな距離で、大きく変わる気候──
ましてや、これから数日は
その地方の平均すら越えた寒さに警戒の必要があるとのこと。
私が住んだら、いったいどのような生活になるのでしょう。
もちろん、現時点では保護者が必要な生活になることは確かですが。
これから先も何かとあると思いますが、まだしばらくはよろしくお願いします。
そうです、キミだって、私の保護者を任せられることが多いのですから。

寒さが厳しい地域では、それに合わせた知恵と工夫で暮らしています。
以前に少し調べただけでも、人間の英知に限界がないと知らされました。
ドアの工夫なども……これは麗姉に期待しているわけではありませんが
そもそも厳寒対策と電車のドアの工夫はまるで違うものですが
麗姉が熱く語るとしたら、それはそれで話してもらえば得るものが多いと予想します。
多くの人が重ねてきた生活は、何に限らず知識の宝庫です。

まだ実用段階ではありませんが、人間が気候を制御することは
ごく限定的な条件であれば可能なようです。
もちろん、莫大なコストがかかることもありますし、
強大な自然が相手のことですから、実用は遠い未来の話ですが……
例えばコストや実用性に関してはさらに不利な条件にあった宇宙開発が
多くの成果をもたらした例もあり、
いえ、霙姉の話はしていません。
もちろん、キミや霙姉がその話に興味があるとしたら、私も反対はしません。
いずれにしろ、人の知識はいつでも数多くの難関と向き合いながら
必ず成し遂げられるものだと私は考えます。
そして、達成に至る道の全ては、
私が楽しく集めている、一見何の役にも立たないような知識の束と
そこに続く時間の喜びにのみ、あるものだと思います。
私が好きなだけ知識を吸収することを喜んでくれる家族に
いつも感謝しています。
ただ、さらに知識を求めてしまうと、現実的ではありませんが
部屋のこのあたりに、月の石を飾って眺められたらと思うときもあります。

もし仮に気候の変化が実用的な範囲で可能になったとしても
実際に活用されるかどうかは疑問です。
私たちが、高いコストを払って求めるのは、
苦難を解消することではなく、何か別のものであると感じるからです。
私が家族と暮らして、与えてもらっている大事なもの。
それはどこの場所であっても、長い歴史で積み重ねてきたもので、
人間が必ず求めるもの──確かに得ているもの。

そう言えば、夕凪姉はどうやらビーグルに興味があるようです。
はい、犬種のビーグルです。
まるで訴えかけるようなつぶらな瞳、わんぱくな行動力。
あの世話をしたくて仕方がないと言っていました。
話を聞いたときの星花姉の顔は青ざめていましたが、
夕凪姉に説得されるうちに心が動いているようです。
もちろん無理な話ですので、そのうちどこかに連れて行ってあげてはどうでしょう。
犬や猫のテーマパークでは、一緒に遊べるようですので。
家族で一緒のルールに従うと難しいかもしれませんが、必要になれば相談して
いい意見を出せたらと考えています。
私がこうして大事に思っている生活を
キミも同じくらい大事に思ってくれたら、私は幸せだと思います。

あの猛吹雪の中で暮らすときがあったら──
私の家族は、必ず、何も変わらずお互いを愛していられると、信じています。
私は、人間の歴史が積み重ねてきた知恵に助けられる、そう思いながら。
その時には、キミが私の近くにいるでしょうか。
今と変わらず、私を守ってくれる場所に、
私は、キミがいてほしいと願います。
保護者の立場でなくなっても、ずっと──

あまり夜更かしをしないほうがいいかもしれません。
吹雪が激しい地域であっても、そうでなくても──健康には気をつけてください。
もし私たちが月に住んでいるような時代であっても、
風邪の対策は、基本的にはあまり変わらない気がします。
寒い時期です。暖かくして休んでください。
おやすみなさい。


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