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観月の偽日記

『うたごえ』

それは、遠くはるかな昔から。
ひょっとすると、最初の人間がこの世に生まれ落ちた瞬間から。
それとも、
古の神様が、一人の恋人と共に愛を見つけ出して
いちばん最初の世界を生み出したときから。
歌は思いを伝える手段であったのかもしれぬ。
愛の感情を乗せ、どこまでも距離を越えて届ける役目を定められた。
人の歴史の、数え切れない愛を運んできた。
ときには、幼い感謝と育ち始めた優しさを詰め込む家族愛。
別の場面では、自分の今の形を長い時間をかけて作り上げていく友に向けた思い。
また、人が知るもっとも特別な感情の一つ、
ただ相手を思うだけで、歓喜ばかりでなく様々に胸がいっぱいになって
どう扱っていいのかもわからない激しい思いは
数多く歌の形になって届けられて
いくつかは後の世にも伝わり、
昔も今も変わらぬ感情を持つこの積み重ねが
人の歴史なのだと感じさせる。
運命によって定められたような
たったひとりの人へと向かう気持ち。
人はそれだけを、愛と呼ぶこともある。
恋人だけに向かうものばかりではなくとも
人間の営みを成り立たせる、
何よりも必要な大切な感情。

あるいは、歌は神々への感謝に捧げられることもある。
古くから人を包み込む神秘の力。
それなしでは、一日も続いていけぬ。
星のうつろい。
大地の営み。
風も雲も、地をゆくわれらのあずかり知らぬうちに動いていく。
わけもわからぬまま、そこに何かを感じて
恐ろしい自然の怒りからの庇護を望み、
変わらぬ愛しい日々を求めたりもする。
相手が目に見えぬ偉大な何ものかであっても
歌が手段として選ばれ、
今に至るまで続いている。
これからも変わることはないであろう。
あらゆるものが、謎の多い世界に包まれて生きている限り、
人を支えている、理屈では説明できない何かを見出して、心を込めて祭りは続いていく。
やがては、限りない努力を重ねて
全ての謎が明かされることがあるとしても
人は必ず、自分たちを生み出した大きな力を思い、
理屈に従わぬ不思議な気持ちを胸に、何ものかへ感謝を捧げていくであろう。

もともとは原始的な歌声。
たぶん、生きる力と密接につながっているもの。
最初の歌とは、ただ生きている我々の鼓動なのかもしれぬ。
だから、吹雪姉じゃが試みているように
複雑な音楽理論を学んで
分析によって答えを出そうとしても
うまくいくとは限らぬ。
熱い血潮と鼓動だけが答えを知っている。
歌が鳴り出すと、自然に激しくなる脈動がそのあかし。
乗せる音や言葉にときめく胸こそ、たったひとつの真実。
そのように作られているだけで
人が追いかける理屈は後付けにすぎない。
言うであろう、
お笑いの構造を説明しようとするときに
かえるを解剖したときには、たいていの場合はもうかえるは死んでいる、
と。
そのようなものじゃ。
何も、わかろうとする努力をする必要はない。
歌が届いたこの肉体のざわめきが答え。
勝手に上昇していく体温、ときどきこぼれる涙が、歌声の伝える何かを知っている。
千年、二千年も前からそうであったらしい。
だから、熱い感情に任せて
伝えたい気持ちだけを声に乗せればよい。
技術はあとからついてくる。
いちばん大事なのはおそらく、
伝えたいこととは、果たして何なのか。
吹雪姉じゃはたぶん、その答えをもう知っている。
すぐに思い当たるに違いない。
わらわでも知っていることじゃ。
とても簡単な一つきり、
目を背けることのできない大きなものを
胸の中にもう持っている。
生まれたときから。
あるいは、どうしても何かを伝えたい
特別な誰かに出会ったときから。
どうしても、わかっているはず。
歌うとは、
ただそれだけのことじゃ。
理屈ではないのじゃ。

わらわも、
今日は幼稚園で楽しく歌ってきた。
ついに、兄じゃが幼稚園に来て教えてくれる予定の日じゃ。
さくらは朝からそわそわして
お兄ちゃんに、普段幼稚園でどんな遊びをしているか教えてあげて
今日はいっぱい遊ぶんだ!
と、言っておった。
でも、兄じゃは学校の大切なお勉強を済ませてからなので
幼稚園が終わって、
お歌の練習をしたい子が残って、教わっている間に
兄じゃがいよいよやってきて
クリスマスの楽しいお歌を聞かせてくれた頃には、もう日が暮れ始めていた。
よい子はおうちへ帰る時間。
さくらが期待していた遊びは全然できなくて、残念であったの。
でも、珍しく兄じゃと手を繋いで帰るうれしい日になって
さくらはそれだけで満足だったようすに見えた。
兄じゃが教えてくれた
海を渡ってきた遠い国の言葉のお歌は
実は幼稚園では教えてもらっていないので
聞かせてもらっても、合唱できないのじゃ。
霙姉じゃにささやかれて、兄じゃがせっかくひとりで堂々と歌ってくれたのに
園児たちには参考にならないのじゃ……
でも、男の人の堂々とした歌声は
マリー姉じゃもわらわもさくらも、
それから、幼稚園に通うみんなも、静かに聞いていた。
歌が終わったら、にぎやかに拍手もしてもらえたな。
今度の幼稚園の合唱会にあの人が来てくれるなら
いつもよりがんばって歌う、という子もいた。
そして、元気に歌って褒めてもらったなら
勇気を出して告白する!
とのことであった。
わらわの兄じゃは、もてもてじゃ!
幼稚園の合唱会で歌うお歌は
実は兄じゃに来てもらう前から、みんなで声を合わせて練習中。
上手かどうか気にしないで
楽しく歌っていられる子ばかり。
本番は、次の日曜日に迫ってきた。
土曜日は幼稚園がお休みなので
練習できるのは明日までじゃな!
むずかしくてかっこいいお歌ではないが
とっても楽しく、元気に歌ってくれる
よい子たちが集まるぞ。
本番になったら緊張してしまいそうな子もいるが、
今は楽しみにしていて
歌を聞いてほしくてうずうず。
もちろん、わらわも
兄じゃに聞いてもらって
喜んでもらいたい。
このちっちゃな体の奥から
いっぱいの愛を届けたくてたまらぬのじゃ。
聞いてくれたら、いっぺんでわらわに惹かれてしまうこと間違いなし。
もっと小さい頃から、ありがたい神様に感謝の歌と踊りをたくさん捧げてきた実力を
今度は愛する家族に、心を込めて届けるのじゃ。

幼稚園のみんなも、クリスマスの楽しいお歌で
見に来てくれるおうちの人たちや、いろんな人に気持ちを伝えたいのであろう。
ゆっくり教えてもらって、一生懸命練習したお歌しか今はあんまり立派ではないような
いつもやりたい放題で無邪気な子供たちも
やがては、その思いを自分の言葉で
歌にして届けて
いずれは誰かの歌が、人の変わらぬ心を遠い世に伝え残していくのかもしれぬな。
まだ全然そんな気配も見えない子ばかりではあるが。
あるいは後世まで残らなくとも
わらわは、本当に望む誰かの心だけを動かせればそれでよい。
もしもさだめに従うことを忘れ、神に仕えることをおろそかにしてしまっても
いつかは大きくなるわらわの体から生まれる、この世界にたった一つきりの愛の歌で、
特別なオーラで結ばれていると見定めた兄じゃの心を動かせるのであれば
昔から人が同じように続けてきた歴史をわらわも辿り、
もう、それ以上に望むことはないのかもしれぬ。
そんな愛の歌を届けられる日が来るようにと願いながら
今はまだ、無邪気に子供らしく練習中じゃ。
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