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霙の偽日記

『月うさぎ』

私たちは、宇宙の全てを知っているわけではない。

学校とは知りたいことを残らず教えてくれる場所ではない。
しかし、知を収集する助けになることは間違いない。

全ての知識が書物となって所蔵されている
バベルの図書館は、宇宙よりも巨大になると聞いた。
私たち人間の及ぶ領域ではないな。
人の脳は、不可能を可能にする小宇宙。
それでも、あまりにも及ばぬ知の深遠。
あらゆる人間が塵に等しいと同じく、
学問を求めるものには、宇宙でさえも塵の一粒となる日が
いつかやって来るのかもしれない。
知を求めることの空しさ、儚さ。
しかし、追い求めることが喜びであることもまた
否定できない。
誰もが一度は疑うことであるとしても
どうしても取り戻そうとする、新しい希望のはじまり。
それは人類にとって新たな出会いであり、
新大陸であり、
成し得ない一歩を実現させて踏み出す天体であり、
やがて、目的に至ろうとする危険に満ちた航海もまた
目的そのものであることに、いつか気がつくはずだ。
そして、私の学校の生徒が道を見失うときには
私が生徒会長として、手助けできることもあるだろう。
もしも、
学校はつまらない、
一部の者のためにできている、
そう思い悩むときには
決してそうではないと
知っているから私なら教えてやれる。
それは私たち誰もが迷う
果てしのない旅の縮図。
やがて踏み出す荒野の冒険において、きっと手助けとなる経験。
この小さな校舎で迷うことがあるならば
絶望的なまでにちっぽけなひとかけらの同士として、
手を取り合い闇を透かし見ることを試そう。
または、わずかに先を進む先輩として
ほんの少しの助けになろう。
そして、同じ道を迷う航海の、別の船を操る船長として
私に多くのことを学ばせて欲しい。
私は全ての入学生を歓迎し、
全ての生徒が学び続けることを喜ぶ。
多少のはねっかえりもいるだろう、
誰もが戸惑いを見つけるだろう。
だが、つまづくこと、傷つくことは、立ち上がれなくなることと同じではない。
大丈夫、何も間違いなどない。
この学校で誰よりもやりたい放題やっている私が
生徒会長として言うのだから、確かなことだ。

新学期が始まって、数日。
学校生活はどうだ?
困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ。
たまに学校にいないかもしれないが。
そうだ、これでも忙しいから
骨休めと思って自主的に英気を養う場合もある。
そんな時は、家で相談に乗ろう。
オマエがいつも帰ってくる場所だ、必ず顔を合わせるだろう。
しかし、オマエも難しい年頃だから、
家を出て一人で考えたくなるときもあるだろうか?
ないか?
私は、ないな。
嘘をつかないでいられる、過ごしやすい家だ。
次女として、多少は過ごしやすさに貢献した自負がある。
あと、年上の特権を利用している自覚もある。
これが学校だと、多少は飾る部分も必要だ。
新入生歓迎の挨拶に、
塵だの儚いだのと入れては困ると
先生方から事前チェックでNGが入った。
いいスピーチだと思うんだがな。
というわけで、先ほどの説教は没になった原稿からの再利用だ。
残念ながら、これを披露できる相手は気を許した仲の人間だけだ。
とはいえ、まだ外面を良くしようと着飾っている感じはあるな。
たとえば、大航海時代をやけに称えてしまったが
コロンブスが新大陸を発見したのは、実は偶然だった。
当時から地球が丸いことは知られており、その大きさも予想されていた。
地球の大きさを勘違いしてインドへ向かおうとして、
失敗するはずの航海でたまたま見知らぬ島にたどり着いた。
コロンブスの卵とは、計画性がないという意味でもある。
たぶんコロンブスが先端を割った卵は、勢いで半分くらい割れていたんじゃないかな。
それに、大航海時代に行われた文化の破壊の多くも、ずいぶん乱暴だった。
当時の倫理観で許容できずに破壊した記録。
そのせいでイースター島のモアイ像は、人類の技術では不可能なオーパーツとなった。
運搬の用途で活用できる木がないあの島で、どうやって巨石を運んだのか。
実は、モアイ像が作られた当時には木があって、その後なくなっただけの話だ。
この発想の転換がコロンブスの卵だ。
知の航海もまた、海を渡る冒険に等しいのだな。
オマエもなるべく無理のない範囲で学問に励むといいだろう。
間違っていても、コロンブスのように何かを見つけるかもしれない。
つまらない意地を張ったとしても、後を追うものが始末してくれるかもな。
人間はちっぽけなものだが、活躍するときもあるのだ。

そして、学校だけが学ぶ場所ではないこともまた知っておくべきだろう。
今日は暇な時間を作って、新しい学年に進む妹たちの様子を見に
小学校へ向かい、
家族の成長を喜び、
誘われるまま
サッカーに参加して
いい汗を流してきた。
あの屈託もなく楽しむ小さな姿こそ
私が通り過ぎてきた幼い姿であり
これから進む道を示す師でもある。
発見を繰り返す、いい放課後だった。
サボリだなどと驚かれるのは心外だ。
迎えに言ってあげた当の妹たちにまで、
学校はどうしたのかと心配された。
そこまで自由奔放に見えるだろうか?
少し自由なだけだ。

これからも気兼ねなく
自由気ままにやっていられたらいいのだが
学校が始まれば、朝早く登校する規則正しい生活は必然。
これで夜更かしができなくなる、と思うか?
甘いな。
甘いものは好きだ。
オマエが私を甘く見ていているのもかわいいものだ。
私なら、学校が求めるものにとらわれない。
夜の暗黒、宇宙の浪漫を楽しむことに妥協はない。
月を見上げて、餅をつくうさぎもまた学問の師。
暗黒の広さに思いを馳せ、
しるこの缶を開けるとしぶきが飛び跳ね、ひととき白い月を背景に踊る。
あれは儚い活動なのか、未知を目指す偉大な一歩なのか。
この言葉では表せない愉悦の時間。
夜に学ぶ何かもまた、私の儚い生を少しだけ豊かにする。
師よ、月に住み、同じ食の好みを持つ友よ。
おまえもやはり、あんころ餅が好きなのか?
学校が始まっても、私の楽しみは誰にも奪えない。
飛び跳ね、収穫を喜ぶ月の同士と
夜の歓喜を分かち合おう。
小さな窓だが、無限へと繋がっている。
私たちが作る学校生活もまた、そうありたいものだ。
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