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霙の偽日記

『闇色』

柿食えば
ちゅうくらいなり
法隆寺

なんと物悲しい句だろう。

聖徳太子だって
柿を食べるなら大きいほうがいいのにな。

中くらいの柿に
世を呪っただろうか。
気持ちは分かる。
期待していたごちそうが
思ったほど大きくないと、それはもう悲しいものだ。
たちまち精神は日食を迎えたように闇に沈み、
明かりのささない牢獄となって閉ざされる。
解放のときはいつとも知れず
永遠を過ごすことになるかもしれない
井戸の底のように深い夜の中。
中くらいとは、恐るべきものだ。
この宇宙に、ちょうどいいというものなど何もなく、
全てはエントロピーがたどるように、形を取れなくなり
滅びの定めに従うのみ。

考えてみれば、
柿が大きかったところで
それもまた宇宙の塵となって消える定め。
中くらいのおやつに、悲しむ私の闇もまた
あのような心の激動を前にしてはとても信じられないことであるのに
必ず消え去るのだ。
限りなく深い、あまりにも深い宇宙の懐へと。
私たちは例外なく、一切の嘆きを残さず滅んでいく。
だから、つらいと思うことなど何もないのだ。
悲しみもこの広大な宇宙に拡散して、もう思い出せなくなる。
そんな時は必ず来るのだ。

私でもいまだ、定めを全て受け入れることができるのか自信がない。
ましてや、滅びなど縁がないもののように人生を謳歌するものたちは。
姉妹たちがどのような人生観を抱いていようと
永遠の前では儚いものだというのに、
みんなは自分の信じるものを求めていく。
ためらいもなく、がむしゃらに、
驚くほどに、ひたむきに。
私はただ見守るだけなのだ。
たとえ、焼き芋の大きさで奪い合いを演じようとも
仕方ないこと。
妹たちの姿は昔の私だと懐かしく眺めて
見守るのだ。

そうだ、柿は今の時期にはあまり見ないからな。
これから春に向かう真っ最中の、寒さが居残るこんな日。
温かく私たちの手のひらから歓喜を伝達してくれる、
深紫と黄金色などの言葉でも表しきれない複雑な色合いをした、
まるで魅惑を詰め込んだ暗黒物質の神秘のごとく
私の心をつなぎとめるもの。
塵に変わるまでのひと時も捨てたものではないと、
消える定めとわかっていながらもそんな幻想を抱いてしまう
一瞬の光。
それが、私たちの手元に届けられた
この冬最後となるかもしれない焼き芋なのだ。
少しでも大きいものを、とは当然の望み。
オマエがいたのなら、妹たちをどう裁くだろう。
いや、裁く権利など誰が持つというのか。
このほくほくとした喜びの前において。
話し合いか、じゃんけんか、
あるいは、子供同士だし元気にすもうで──
おやつ時にほこりを立てるのも考え物か。
解決策など、求めるものを知っているなら簡単に出るものだ。
この家の誰も、おいしい焼き芋で悲しい顔をするべきではない。
世の中は儚い。全てが私の希望のままになるとは限らない。
だが、今回はそうでもない。
私はただ、公平になる程度にわたしの焼き芋を分けてやるだけでいいのだから。

限りあるわずかな時間を
家族と仲良く過ごせるなら、
何もかも消え去ると決まっているこの世界に
他に求めるものなど何もない。
あまりない。
ないこともないが、
儚いものと思えば、まあいい。

週間天気予報では、明後日あたりから暖かい日が続くそうだ。
ということはつまり、焼き芋もまた、消え去る運命を避け得ない。
しかし、誰も知ることのできない私たちの運命なるものが許すならば
来年もまた、この喜びに満ちた出会いが訪れるかもしれない。
全てが塵となるまでのわずかな時間にも、
短いサイクルで繰り返される、まるで輪廻を思わせるような営みがある。
永遠に続く夢など幻と知っていながら、
別れては出会う得がたい経験に希望を託すこともある。
来年もまた、このような穏やかな時間を家族と過ごせるようにと願う。
これからの春、桜餅と柏餅の宴を心安らかに迎えられるよう。
今日この日を過ごせたことに感謝し、
あんこがぎっしり入った大きな桜餅を夢に見よう。
また今年も出会えるようにと、幻と区別がつかない夢を。
三月になったばかりで、気が早いようだが、
早く桜が咲かないかな。
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