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吹雪の偽日記

『パラドックス』

床屋のパラドックスについて考えています。

このパラドックスは
簡単に言えば──
いえ、簡単に言わなければ
集合論が苦手なうちの家族には理解しづらいのですが、
キミなら大丈夫でしょうか?
しかし、一定の基準に従っているほうが
行動は複雑になりすぎず、便利ですので、
私の家族にはまず簡単に言うことから試みることにします。

ある村にたった一人だけ床屋がいます。
この村では、自分のひげを剃らないものとします。
では、床屋のひげは誰が剃るのでしょう?

少し簡単にしすぎて、
これは正確な説明ではありません。
ともかく、誰かが床屋のひげを剃るほうが望ましいはずです。
伸ばしっぱなしでは、自身も、一緒に生活する人も、かなり違和感があるのでは。
剃らずに切るとすれば、やや見た目が野生的になりすぎるでしょう。
もしキミがそんなことになれば、海晴姉や小雨姉やさくらが困惑すると思います。
いえ、家族がそれでいいのならば、どうしてもとは言いませんが。
私としては、清潔さの観点から、剃るほうが有利であると提案します。
しかし、先ほどの仮定では、自分のひげを剃らないことになっています。
床屋は自分のほかにいませんし、今のところは新しい床屋も現れないようです。
さて、床屋のひげはどうすべきか?

パラドックスを回避する方法としては、
床屋は女性であった、
とするといいそうです。
何の矛盾もない、正しい説明ですね。
美しい論理です。
しかし、キミは女性ではないのでひげは伸びます。
ひげが伸びないように外科手術をするという奥の手もあります。
普通に抜いてもかまいません。
もともとの床屋のパラドックスは、もう少し文章が厳密なので
そういった逃げ道はありません。
女性説も、厳密な場合は逃げ道としては許されていません。
ただ、私が考えているのはもう少し別のことで、
パラドックスを回避する方法ではありません。
キミは現時点で床屋ではなく、
自分のひげを剃らない村の人間ではない。
それなのになぜ床屋と重ね合わせたのか、それは理由があります。

自分のひげを剃らない村とは何か?
過去にひげに関する問題が発生した?
それに類する言い伝えがある?
このパラドックスはもともと、集合論におけるラッセルのパラドックスを
別の視点から説明しようとしたものです。
つまり、このような習慣がある村の存在を前提としていません。
そこは説明不足なので、いくら考えても答えは出ません。
それなのに考えてしまう理由は、
自分自身のひげを剃ることを許されない床屋が、
別の姿に見えてしまったからです。
すなわち、
自分以外の何者からも愛を与えられない者は、
誰から愛を受ければよいのか?
恐ろしい話です。
この場合、いわゆる神の愛は別の話です。
ここで言う愛情は、人間から与えられるものです。
そして、自分では自分に与えられないものです。
床屋には、ひげを剃ってくれる相手がいない。
私はひげが伸びないため、近い男性であるキミの立場になってみましたが、
私を愛してくれる家族がいない想定です。
実に恐ろしいことです。

ヘンペルのカラスについて考えています。
カラスは黒い、という命題を証明するには、
その対偶を証明すればよい。
黒くないものはカラスではない──
これは、黒くないものを全て調べて、
その中にカラスが含まれていなければ成り立ちます。
つまり、カラスを一羽も調べなくても、カラスが黒いことを証明できる。
対偶論法の危うさを指摘する意図で提出された問題です。
世界中を調べることは、現実的ではないのです。
ある程度の範囲内であれば、この説明は無理なく成り立つのですが。
しかし、考えると疑問も生まれます。
私は、キミ以外を全て調べたとき、
キミの愛が実在することを確信できるのでしょうか?
一度も触れあうことなしに?
理論上では、そういうことになります。
愛とは、理論と別に成り立つものなのでしょうか?
だとすると、私が理論的に愛を理解しようとする試みは、
例外なく失敗すると確定しています。
だとしたら、私はなぜ試行をやめないのか?

もともと最初の生命が誕生したとき、
それはたったひとつきりだったはずです。
最初の生物はなぜ、増殖を試みたのか?
化学反応がもたらした、ただの偶然だったとする説もあります。
やがて、種族保存のために活用するようになった電気的刺激が
愛である、と考えられます。
愛はどの段階で発生したのか?
いえ、愛は本当に種族保存のためだけにあるものなのか?
それだけでは説明できないことがあります。
私であろうと、家族であろうと、
キミの子を残すなら、遺伝子はあまり変わりがないのに
どうして私の中に、独占しようとする感情が生まれるのか?

アキレスと亀のパラドックスについて考えています。
私が答えを出す前に疑問は次々とあらわれ、
永久に追いつけないように見えます。
亀が作り出した無限分割の世界にとらわれ、
私は永久に抜け出すことができないのでは──
そんな感覚にとらわれます。
この場合、亀の速度が明らかに早いことが原因なので、
パラドックスではありません。
一つでも答えが出せたら、私は満足できるのでしょうか?
全ての解を求める無謀な挑戦を続けるのかもしれません。
でも、もしもどれかひとつだけを求めるのだとしたら、
私が解き明かそうとしている問題は、果たしてどれなのか?
亀の背中は遠く、
私の歩みは遅い。
むしろ、私はアキレスに追いつこうとしている亀なのです。
より正確な例えをすれば、うさぎを追いかける亀ですね。
ただし、このうさぎは居眠りをしません。

これから私がどのような道をたどるにしても、
興味を持っているのはキミのことです。
私が力尽きるまでに、どれだけ解き明かせるのか。
キミは私を置いて先に行ってしまううさぎですか?
それとも、疑問を共に追いかけてくれる関係と考えてもいいのですか?
私がキミを研究したいこの気持ちを愛だとして、
キミが私に与えてくれる何かは、同じ愛だと理論的に説明できるのでしょうか?
いえ、同じ愛でなかったとしても、
それが私の求めているものであるかもしれない。
村の誰からもひげを剃ってもらえない床屋は、
ひげを剃ってもらえず、別のものを得るのかもしれない。
求めるものはパラドックスの解消ではないとして、では何なのか──
私が愛するように、キミから愛してもらえなかったとしても、
私はキミから愛を受け取っていることは確かです。

自分でも理解できない考え方ですが、
キミと一緒に探索を続けられるのならば
何ひとつ答えが出なくてもかまわない、という気持ちになるときがあります。
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