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吹雪の偽日記

『ノーデータ』

例え話をします。

ここに、二種類の内服薬を入れた
二つの薬瓶があります。
外見を元に区別することはできません。

内容物の片方は、
確実な致死性がある猛毒。
もう片方は──

この薬品を服用した人間が、
望んだ人間から
必ず愛してもらえる効果を持ちます。

例え話です。

実際には、そのような効果を発揮するものはありません。

さて、
服用するまで区別がつかない
このような二つの瓶があるとして。

キミはどうしますか?
死の危険があるとしても
愛の達成を望むか。
それとも、このような不確実な試行はしないのか。

私の回答は──
可能な限りの手段をとって、二つの瓶を区別しようと試みるつもりですが
この例え話は、いっさい区別の手段はないと仮定するものです。

もしも私が、
勘に頼って中身を服用する、と言ったら
キミは止めるでしょうね。

だから、私の回答はあえて秘密にします。

もしも、この例え話に
服用を選ぶと回答する人がいた場合。

導き出される結論は、
愛が成就することは死の危険に優先する、
ということです。
これは、その人の考え方によるもので、
人の考え方は、社会生活の範囲内でその人の自由です。

愛は死に優先するか。
この命題が真であるかを証明するには、
対偶が真であることを証明すればいいということになります。

さきほどの例え話において
対偶とはどのような条件をさすのでしょう?
望みの人と愛し合っている状態を前提とします。
ある薬品を服用しなければ死の危険がある。
しかし、その薬品によって
肉体に変化が発生し、
その人との愛は、永久に失われる。
例えば、脳に影響があるとしてもいいし、
外界を判断する全ての感覚が失われるとしてもいい。

もちろん例え話です。

この場合に、死を覚悟してでも
愛し続けることを選ぶのか──
しかし、この例えは適当ではないかもしれません。
私であれば、もしも脳に損傷が発生しようと
キミを判断する感覚が一切失われたとしても
愛を失うことになるとは思えない。
愛せない状態というものが、考えられません。

愛を科学的に分析できない現在の状態で
何を言っても、
正確な予測にはなりませんが。

自分でも、なぜこのような例え話を思いついたのか
よくわかりません。

バレンタインデーが近づいてきました。
もしかすると、その関係でしょうか?
愛が非常に大事なものだとしたら
バレンタインデーに関わらず、いつでも求めるものであるはず。
では、バレンタインデーは
愛を伝える一つの手段に過ぎないのか?
他に愛を伝える手段が多く存在し、
人はいつもそれを行動に移しているのだろうか?
だとすれば、バレンタインデーのイベントにもそのヒントがあるのか?

いったい、
愛は、生き物にとって
どれくらい大事なものなのだろうか?

私は数学を学ぶことを好みます。
整った数学体系に魅力を感じます。
これは、数学というものが
世界を理解しようとする手段であり、
世界を、あるいは
何者かを愛そうとする手段だからではないか、
と、考えることがありますが
その判断が正確かどうかはいまのところ証明できていません。

数学を学ぶことで得た経験を参考に
物事を計測することが
現在の私は比較的得意です。

何か別の手段で
愛を扱う方法が他にあるのでしょうか。
私にはまだ推測できませんが、
その方法が実在するという根拠は
私の家族から与えられています。

いずれにしろ、
私が愛を充分に理解するためには
いまだに情報量は少なく、
完全な理解を達成する可能性は
ゼロに等しい状態にも感じられます。

おそらく、個人の研究では達成は不可能でしょう。
私はキミの助けを必要としています。
気が向いたときでかまわないので、
協力してもらえませんか。

これは根拠のない想像ですが、
私の研究の成否は、
キミの将来にも大きく関わってくると考えています。
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