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霙の偽日記

『禁断』

あけましておめでとう。

冗談だ。

春風と蛍が買ってきたお正月メニューを
大掃除の合間に提供してもらって
しだいに年越しの準備は整っていく。
オマエが今、何を考えているのかは
なぜか想像がつくから
誤解を解いておくと、
私が頼んでおやつにしてもらったわけではない。
重箱に並んで、見た目も味も雅に正月を飾る料理は多い。
金塊を思わせるということからおせちに顔を見せる栗金団。
だが、この家族に、すでに金塊よりも得がたいものを
私は見つけている。
金の形状もいつか残らず消え去り
ただ、ひとつの元素として広がり散っていくそのはかない姿を見せることとなる
この宇宙の無限の営みを前にしながら、
またたきのような一瞬の輝きだとしても
なぜか私の心をひきつけて
20人のきょうだいたちが、いつもまぶしく輝いていると知っている。
あるいはそれは、海晴姉が言うように、
晴れ渡る暖かい日差しのようなものかもしれない。
または、宇宙の深遠を思わせる漆黒、
手を触れただけで全てが無に染まり、喜びの他は何も残さないように見える
完全を形にしたように美しく、神秘めいて甘く、
深い暗黒の美しさに似た……
まあ、それはいいだろう。
おやつ関係の誤解を解くための話だから、それは言わない。
とにかく、私が甘い食べ物を時には望むとしても
今日の栗金団はリクエストをしたわけではないのだ。
どうやら、自作するおせちの参考に少し買い込んできただけ。
というか、そもそも予定になかったのに
お店に並んでいたらつい盛り上がって買ってきてしまった結果だという。
春風も蛍も、季節を感じるアピールには弱いのだ。
だがそれは、私たちが過ごしている日々で気がつかない場所に
思いが行き届く感覚を持っているともいえる。
二人がいなかったら、私たち家族の季節感は曖昧になっていたのかもしれないな。
振袖に着替えて迎える晴れやかな新年のはずが
こたつで寝転ぶジャージ姿のだらしない群れでは
かるたも羽根突きも雰囲気が出ないまま
あまり楽しくなさそうだ。
おぞうには、季節感というよりジャンクな味付けが似合いそうな風景になってしまう。
それもおいしそうな気がしてくるな。
そういえば、蛍は三が日を過ぎる頃には少し挑戦的な試みを始めるのだが
今年は、旅行先で厨房に立つこともないだろうからよかったな。
いや、蛍の活躍を見る場面が減って、残念と考えるところかな。
活躍とは違うだろうか……
おせちの準備も、
予算オーバーしてグレードが下がったということもないようだ。
そのへんは経済観念がしっかりしてる、我が家の台所担当。
参考のためと、盛り上がる気分で買い込んだ早めのおせちの準備をもとに
年の初めに、今度は家族だけを思って作られる心のこもったオリジナルおせちが
団らんの場に届く日はもうすぐだ。
さすがに、伝統を感じるにふさわしい日なのだから
元旦くらいは野心的な挑戦も控えるだろう。
何気ない私たちの毎日を支える強さと
特別な日を築き上げる感性と、蓄積した経験値。
春風と蛍を見ていると
妹たちが、そのしとやかな女性らしさに憧れる一方で
あんなふうに素敵な年長になれるかどうか
不安を抱いてしまうのも、わかる気がする。
春風も蛍も、普段の優しさと力強さが
彼女たちの素晴らしいすべてというわけではないのだし
私のかわいい妹たちは、一人ひとりが違う魅力を備えて、
日々の生活で、みんなが持ち合わせる良さを自然と伸ばしていけるのだと
わかってもらうことはできるだろうか。
言葉で伝えるのではなく、私がそれぞれ違う妹たちを愛していると信じてもらうこと。
たとえ誰にでも憧れる人間がいるとしたって
何者も、望んだとおりのその人になり変わることは出来ない。
仮に、それができるとしても
きっとするべきではない。
私たちは誰もが違う道を歩く。
走り続ける先達は遠くへ、彼方へと向かい
残したものは種になって芽を吹き、豊饒の土地を築く。
たった一瞬のうちに消え去る人間の、
それでもどうしても続いていく連なり。
尊敬する姉の背中を追いながら
家族の全員が、別々の地を切り開き、
それぞれの美しいものを見つけながら生きていくという私の確信は
どこに根拠があるのか判然としていなくとも、決して間違ってはいないと信じる。
同じ場所で、肩を寄せ合ってお互いを支えあう
まるでひとつのかたまりのような私たち家族が
実はまったく違う力を育て続けて
尊敬する姉たちの誰にも負けないほど、自分たちも家族全員の喜びなのだと
みんなが自分を心から認める日は
もしかしたら言葉で言うほど簡単なものではなくて、
なかなかやって来ないかもしれないが
まあ、そんな未来をふと思い描いてみる楽しみも、年上の特権だと思う。
立派に家族たちに新年の喜びを届けてくれる姉たちも、
そしてそうでない者たちも同じように
愛する家族で、同じになる必要もないし、必要があってもできない。
私は今日も、
多少は気を抜いても人は楽しく、
この幸福な家族の一人としてかけがえのない日々を生きていけるのだと教えるつもりもあって
大掃除を急いで進める努力は、いったん置いておくことにした。
すっきりと片付いた掃除だけが、私たちを新年にいざなうとは限らないのだ。
ここで家族を見つめて、ときどきは声をかけて励まし、
そして疲れて戻ってきた者に差し出すおすすめの甘味で
一息ついてもらって、
こんな年越しもまた一つの形なのだと理解してもらうことができたら
それぞれの個性を生かして、まるで広がっていく宇宙のような熱い空間を作り上げる日も
そう遠くはないのかもしれない、と考えていたが
理解を求めるには、まだ遠く長い道のりのようだ。
おせちのおやつ……
おいしかったのに……
海晴姉は、みんなの見本にならないからと
私の分だけ取り上げてしまった。
しかもなお、
観月の本を探して物置をかき回していたヒカルが
よっぽどまっくろくろすけに好かれたようで、蜘蛛の巣とほこりだらけになった姿で
見つけ出してきたものは
もちつきの臼と杵だ。
我が家には、年末のもちつきの習慣はないと思っていたんだ。
前は男手がない家だったのも理由の一つにあるだろう。
しかし、あるにはあったんだな。
ママに聞いてみたら、そういえばと思い出した様子だった。
どんどん増える家族がいっぱいで、あまり気にせずしまいこんだままというのも
いかにもというか、
自分の中に流れる血を感じるというか、
そんなに細かいことまできっちりとしていない家系ということで
いいのではないだろうか。
だめかな。
納得しない子もいるだろうし。
とにかく、こんなものが出てきてしまったら
自分たちで年始のもちが作れると判明したわけだし
すがすがしい年越しにそんなに興味がない私も
こういうものはやらねばならないと思うのは
なぜだろう?
来年の正月は
オマエが一生懸命ついてくれたもちでいっぱいだ。
なんというときめく新年の始まりであろうか。
もちつきは初めてか?
少なくとも、私たちと協力しながら20人分の量を作った経験はないわけだ。
うん、初めてのことに戸惑う気持ちは私も想像できるが
何も不安に思う必要はない。
珍しくたまには張り切って年越しのイベントをしてみたい私が
時々は、一般的な意味で普通に助け合える立派な姉としての姿をお前に見せる
なかなかない、いい機会になるだろう。
もち米の買出しは完璧だ。
明日は──
我が家では、めくるめく初めての餅つきが、
快感と共に新年を招くだろう。
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