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観月の偽日記

『山の神』

左手の薬指は
血管が心臓につながっている説があることから
結婚指輪をつけるそうな。

蛍姉じゃと氷柱姉じゃのお部屋から
セクシーコスプレ衣装と一緒に
運び出された品に混じっていたものは
純白のウェディングドレスの作りかけと
おもちゃの指輪。

結婚する前に
ウェディングドレスを着ると
行き遅れるとする説もあるようだが
おうちの子はみんな
兄じゃが責任を持ってもらってくれるという話なので
心配はいらないであろう。
他に心配があるとすれば
使い道がほとんどないのに
品のいい生地をたっぷり必要とするので
蛍姉じゃいわく、ぜいたくな趣味だし
おそらく完成はしないだろう、とのこと。
そこじゃな。
いつかは、家族のみんながお嫁に行くときに
作ってあげたい衣装だという。
兄じゃのお嫁に、19人分作ってもらえるかな。
しかしこれは
蛍姉者が自分の趣味で、
夢を見ながら
今の自分に合わせて作っている衣装だという。
生地は今回は高価なものではなくて切れ端を繋いだだけで
まだ形は全然ドレスではないし
たぶん完成しても、よく見たらまったくドレスらしくないだろうと
本人は謙遜しているが
家族には好評。
大勢が、試着の順番で待っていた。
おもちゃの指輪でも大騒ぎする子たちなので
あまり細かいことは気にならぬだけかもな。
もういくつか心配になることがあって
作りかけでもあり、しかも薄い衣装だから
いくら暖房が効いた室内でも
あんまりずっと着ていたら体によくないのでは、
ということと。
みんながいる場所で着替え出した姉じゃたちに気を使って
兄じゃが静かに席を外してしまって
いちばん見てもらいたい相手なのに
いったいどこに!?
みんなであわてたことと。
それから、
順番が回ってくるのをいい子で待っていたひとりひとりが
ちゃんと兄じゃを呼んで、隣の部屋で着替えを待ってもらって
じっくり見てもらって、
感想を聞かせてもらったので
もう、兄じゃのところにお嫁さんに言ったような気がしている子が
何人もいて
話していると混乱してくるということ。
それは兄じゃがもう少し大きくなってからでなくてはいけないというのに。
蛍姉じゃから下の子だと、さらに自分も歳をとらなくてはいけないし。
それに、兄じゃと結婚の約束をする話は
前からしている子も多いようだが
力のあるオーラを誰より頼りにしているのは
誰にも代わりができない特別なお役目を定められた
わらわがいちばんなのではないかと思う。
なので、
みんなが兄じゃを取り合っていると
いま、まるで嫉妬深い山の神みたいに
観月は少々
考えてしまうのじゃ。
そこで、
これ。
一晩貸してたもれ、のお願いを
快く聞いてもらえた。
ペアであずかった
おもちゃの指輪。
左手の指と聞いたときには
どの指の血管も心臓につながっているのでは?
と、思ったものだが。
そもそも、わらわに見えるオーラは
全身から立ちのぼるもの。
家族を愛する穏やかなひとときを過ごす最中や、
猛烈な感情に身を焦がすのも
その感情は、頭のてっぺんからつま先まで
何も入り込む余地がないほど
愛する人を思う気持ちでいっぱい。
ときどきは、おなかをすかして食欲も割り込むけれど
思う人と食べたい気持ちが大きいのだし、
そこは見逃してほしいのじゃ。
そうやって、永遠の誓いは
この体のどこであっても、形にしてあらわせるもの。
瞳に宿る光、
ほとばしる喉の震え、
時には指先だけで秘密の合図をしてもいいし
悩んだ愛の言葉もあり、
手に取れる形にした贈り物、
ただ体温を伝えるだけでもいい。
愛する人がここにいることが
自分にとってどれだけ大切なのか
胸のうちを届ける方法は
誓いの指輪ひとつに決める必要などない。
なのだが。
うむ。
同じ指に決めて二人で指輪をして
ならべたら
なかなか愛嬌があるものじゃ。
たくましい兄じゃも
無骨な指に、なかなか似合う飾り。
誰が決めたのかは知らないが
昔からの決まりは
確かに、理にかなった言い伝えも
たくさんあるのじゃ。
でも、
兄と妹で結婚できないんじゃないかと
氷柱姉じゃが不機嫌で
ちょっとかわいそうじゃの。
古くから神々も
自由に恋をしてきたのだし、
わらわも、そのように
嫉妬だってするのじゃ。
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観月の偽日記

『うたごえ』

それは、遠くはるかな昔から。
ひょっとすると、最初の人間がこの世に生まれ落ちた瞬間から。
それとも、
古の神様が、一人の恋人と共に愛を見つけ出して
いちばん最初の世界を生み出したときから。
歌は思いを伝える手段であったのかもしれぬ。
愛の感情を乗せ、どこまでも距離を越えて届ける役目を定められた。
人の歴史の、数え切れない愛を運んできた。
ときには、幼い感謝と育ち始めた優しさを詰め込む家族愛。
別の場面では、自分の今の形を長い時間をかけて作り上げていく友に向けた思い。
また、人が知るもっとも特別な感情の一つ、
ただ相手を思うだけで、歓喜ばかりでなく様々に胸がいっぱいになって
どう扱っていいのかもわからない激しい思いは
数多く歌の形になって届けられて
いくつかは後の世にも伝わり、
昔も今も変わらぬ感情を持つこの積み重ねが
人の歴史なのだと感じさせる。
運命によって定められたような
たったひとりの人へと向かう気持ち。
人はそれだけを、愛と呼ぶこともある。
恋人だけに向かうものばかりではなくとも
人間の営みを成り立たせる、
何よりも必要な大切な感情。

あるいは、歌は神々への感謝に捧げられることもある。
古くから人を包み込む神秘の力。
それなしでは、一日も続いていけぬ。
星のうつろい。
大地の営み。
風も雲も、地をゆくわれらのあずかり知らぬうちに動いていく。
わけもわからぬまま、そこに何かを感じて
恐ろしい自然の怒りからの庇護を望み、
変わらぬ愛しい日々を求めたりもする。
相手が目に見えぬ偉大な何ものかであっても
歌が手段として選ばれ、
今に至るまで続いている。
これからも変わることはないであろう。
あらゆるものが、謎の多い世界に包まれて生きている限り、
人を支えている、理屈では説明できない何かを見出して、心を込めて祭りは続いていく。
やがては、限りない努力を重ねて
全ての謎が明かされることがあるとしても
人は必ず、自分たちを生み出した大きな力を思い、
理屈に従わぬ不思議な気持ちを胸に、何ものかへ感謝を捧げていくであろう。

もともとは原始的な歌声。
たぶん、生きる力と密接につながっているもの。
最初の歌とは、ただ生きている我々の鼓動なのかもしれぬ。
だから、吹雪姉じゃが試みているように
複雑な音楽理論を学んで
分析によって答えを出そうとしても
うまくいくとは限らぬ。
熱い血潮と鼓動だけが答えを知っている。
歌が鳴り出すと、自然に激しくなる脈動がそのあかし。
乗せる音や言葉にときめく胸こそ、たったひとつの真実。
そのように作られているだけで
人が追いかける理屈は後付けにすぎない。
言うであろう、
お笑いの構造を説明しようとするときに
かえるを解剖したときには、たいていの場合はもうかえるは死んでいる、
と。
そのようなものじゃ。
何も、わかろうとする努力をする必要はない。
歌が届いたこの肉体のざわめきが答え。
勝手に上昇していく体温、ときどきこぼれる涙が、歌声の伝える何かを知っている。
千年、二千年も前からそうであったらしい。
だから、熱い感情に任せて
伝えたい気持ちだけを声に乗せればよい。
技術はあとからついてくる。
いちばん大事なのはおそらく、
伝えたいこととは、果たして何なのか。
吹雪姉じゃはたぶん、その答えをもう知っている。
すぐに思い当たるに違いない。
わらわでも知っていることじゃ。
とても簡単な一つきり、
目を背けることのできない大きなものを
胸の中にもう持っている。
生まれたときから。
あるいは、どうしても何かを伝えたい
特別な誰かに出会ったときから。
どうしても、わかっているはず。
歌うとは、
ただそれだけのことじゃ。
理屈ではないのじゃ。

わらわも、
今日は幼稚園で楽しく歌ってきた。
ついに、兄じゃが幼稚園に来て教えてくれる予定の日じゃ。
さくらは朝からそわそわして
お兄ちゃんに、普段幼稚園でどんな遊びをしているか教えてあげて
今日はいっぱい遊ぶんだ!
と、言っておった。
でも、兄じゃは学校の大切なお勉強を済ませてからなので
幼稚園が終わって、
お歌の練習をしたい子が残って、教わっている間に
兄じゃがいよいよやってきて
クリスマスの楽しいお歌を聞かせてくれた頃には、もう日が暮れ始めていた。
よい子はおうちへ帰る時間。
さくらが期待していた遊びは全然できなくて、残念であったの。
でも、珍しく兄じゃと手を繋いで帰るうれしい日になって
さくらはそれだけで満足だったようすに見えた。
兄じゃが教えてくれた
海を渡ってきた遠い国の言葉のお歌は
実は幼稚園では教えてもらっていないので
聞かせてもらっても、合唱できないのじゃ。
霙姉じゃにささやかれて、兄じゃがせっかくひとりで堂々と歌ってくれたのに
園児たちには参考にならないのじゃ……
でも、男の人の堂々とした歌声は
マリー姉じゃもわらわもさくらも、
それから、幼稚園に通うみんなも、静かに聞いていた。
歌が終わったら、にぎやかに拍手もしてもらえたな。
今度の幼稚園の合唱会にあの人が来てくれるなら
いつもよりがんばって歌う、という子もいた。
そして、元気に歌って褒めてもらったなら
勇気を出して告白する!
とのことであった。
わらわの兄じゃは、もてもてじゃ!
幼稚園の合唱会で歌うお歌は
実は兄じゃに来てもらう前から、みんなで声を合わせて練習中。
上手かどうか気にしないで
楽しく歌っていられる子ばかり。
本番は、次の日曜日に迫ってきた。
土曜日は幼稚園がお休みなので
練習できるのは明日までじゃな!
むずかしくてかっこいいお歌ではないが
とっても楽しく、元気に歌ってくれる
よい子たちが集まるぞ。
本番になったら緊張してしまいそうな子もいるが、
今は楽しみにしていて
歌を聞いてほしくてうずうず。
もちろん、わらわも
兄じゃに聞いてもらって
喜んでもらいたい。
このちっちゃな体の奥から
いっぱいの愛を届けたくてたまらぬのじゃ。
聞いてくれたら、いっぺんでわらわに惹かれてしまうこと間違いなし。
もっと小さい頃から、ありがたい神様に感謝の歌と踊りをたくさん捧げてきた実力を
今度は愛する家族に、心を込めて届けるのじゃ。

幼稚園のみんなも、クリスマスの楽しいお歌で
見に来てくれるおうちの人たちや、いろんな人に気持ちを伝えたいのであろう。
ゆっくり教えてもらって、一生懸命練習したお歌しか今はあんまり立派ではないような
いつもやりたい放題で無邪気な子供たちも
やがては、その思いを自分の言葉で
歌にして届けて
いずれは誰かの歌が、人の変わらぬ心を遠い世に伝え残していくのかもしれぬな。
まだ全然そんな気配も見えない子ばかりではあるが。
あるいは後世まで残らなくとも
わらわは、本当に望む誰かの心だけを動かせればそれでよい。
もしもさだめに従うことを忘れ、神に仕えることをおろそかにしてしまっても
いつかは大きくなるわらわの体から生まれる、この世界にたった一つきりの愛の歌で、
特別なオーラで結ばれていると見定めた兄じゃの心を動かせるのであれば
昔から人が同じように続けてきた歴史をわらわも辿り、
もう、それ以上に望むことはないのかもしれぬ。
そんな愛の歌を届けられる日が来るようにと願いながら
今はまだ、無邪気に子供らしく練習中じゃ。

観月の偽日記

『温泉』

海晴姉じゃは結局、
今日のお仕事には行けなかった。

といっても、
病気が急に重くなったわけではなくて
テレビ局の人から怒られたらしい。
具合がよくない人間の顔を
朝のさわやかなニュースの代表として
視聴者にお届けすることなどできない!
うむ、それはそうじゃ。
というわけで、今日は代役のお姉さんがお天気予報。
いつもは海晴姉じゃの挨拶で、
元気良く幼稚園や学校に向かうこの家族も
みんななんだか、物足りない朝。
朝の少ない時間で、千羽にはだいぶ足りない折鶴に心を込めて
回復を祈願するばかり。
いつも朝にはテレビの向こう側にいる大好きな人が
今日はおうちにいてくれるのに
ちっともうれしくない。
幼稚園でマリー姉じゃやさくらと顔を合わせて相談するうわさ話は
海晴姉じゃの病状ばかり。
冬場の引き締まった空気も、ありがたいお日様の恵みも
今日ばかりは形無しで、話題にもならない。
ちゃんとよくなってもらわないと
またさくらがお部屋に忍んで行って泣いてしまう。
そうなったら一大事じゃ。
わらわもマリー姉じゃも、
今は我慢していても、きっとつられて泣いてしまうのじゃ。

万全を保つ体調管理も大人のお仕事。
であるが、
体調を崩したときには無理をせず、
よく休むのも、大事なお仕事じゃ。
海晴姉じゃがうまく舞うことができなければ
この自然をつかさどる神がお怒りになる、ということもない。
昔は、清らかな乙女でも祈りで雨を呼ぶことがかなわず
竜神の沼にその身を捧げることもあったそうな。
こわいこわい。
わらわだって、どんなに力があっても、そんなお仕事を任されたら
兄じゃと手に手をとって逃げてしまうぞ。
そうであろ?
海晴姉じゃがつとめているのは、そんなおそろしいお仕事ではないから
ちゃんとよく休んで、治してくれればよいな。

病院でおくすりをもらってきて
今日は一日ゆっくりしていたようじゃ。
だが、本当にゆっくりしていたかどうかは、
さくらがけなげに差し入れしたミーチカちゃんに聞かなければわからぬ。
なにしろ、お部屋のほうから
さみしいなー、
誰かがお見舞いに来てくれないかなー、
ね、ミーチカちゃん!
と話しかける大声が
リビングのほうまでかすかに聞こえてきた。
うーん……
お見舞いは禁止されておるのじゃ。
破ったら、
沼に放り込まれたりはしないが
おしりがはれるまで
ぺんぺんされる。
そういうお達しが出ておる。
それに、
とっても苦しいお風邪がうつらないように
心がけねばいけないのは
子供のお仕事でもある。
海晴姉じゃも、うつしてしまったら
後で悔やむに決まっている。
今はわらわもつらくとも、
今日だけは心を鬼にしなければ。
いつになく長く感じる一日。
楽しくて時間が早く過ぎるときは、
もっと遊んでいられたらと思うのに
実際に時間の進みが遅く感じることがあると
誰かが病気になっている時間なんて早く終わってくれればいい、
たちまち過ぎ去るように祈ってしまう。
みんなで遊んでいても、ふと落ちる沈黙。
海晴姉じゃはちゃんといい子でお休みしているであろうか。
そんな心配顔の一同が、輪になっている。
兄じゃは、うがいと手洗いは今日もきちんとしておるか?
海晴姉じゃの具合が気になって、おろそかになっておらぬか?
それでは、海晴姉じゃも悲しむと思う。
たぶん。
後になって、お見舞いに来てくれないなんて薄情者だと
ののしられるようなことは、
たぶんないと思う。
今は、病気で心細くなって
寂しがっているだけなのじゃ。
お手紙を届けて励ますのが、小さい子たちにできる精一杯。
兄じゃも、書くと良い。
別に、夕凪姉じゃのように
風邪を吹き飛ばすマホウの力が込められていなくてもかまわぬ。
わらわがしたように、快癒祈願を和歌に仕立てる工夫だってなくても良い。
心がこもっていれば
ほとんど同じ文面ばかりでも、
早くよくなってほしい。
ゆっくり休んでほしい。
それでいいのだと思う。
心配する声をひとこと届けるだけでも
海晴姉じゃも納得して休めるであろう。

明日いっぱい休めば、もう全快するだろうと
夕方おうどんを届けに行った蛍姉じゃが
うれしい報告をおみやげに持ち帰ってくれた。
しかし、日曜日に麗姉じゃの学芸会に行けるかどうかは
明日の様子を見なければわからない。
いくら良くなってもそれだけは賛成できないと
激しい剣幕の氷柱姉じゃもいる。
どうなることか、
わらわが占ってみても、答えははっきりしない。
行けそうな卦が出ているようでもあるし、
休んでいたほうがよいお告げのようにもとれる。
明日訪れる未来はまだ、
運命を受け持つ神々も決めかねているようじゃ。

いまさら言ってみても遅いし
海晴姉じゃの回復には役に立たないが
寒い季節、温泉にでも行きたいという話は
ときどき出ていた。
それで、来年の松の内は、大磯で過ごそうと
もう宿の予約は済んでいる。
遠い旅程も徒歩にあらず、馬にあらず
天使であっても羽はなく
予約して席を取った電車で行く。
だが、それまで寒い日があったら
裏山でも掘れば、温泉くらいは出るんじゃないか、
何があるかわからないところだし。
そんな話もあった。
うむ。
わらわも、占いでどこを掘ればいいか探してほしいと言われた。
確かに、様々な気が入り混じっておる。
その気になれば温泉くらい掘り当てられそうな気配はあるが。
しかし、あの地に住むものは多く、
山は決して人間ばかりのものではない。
自然の恵みによって大地に立つ生き物たちがいる。
翼あるものも、地に根を張るものも
山の大事な仲間。
人の目に映るものも、そうでないものも
また、自然をつかさどる
時には恐ろしい大きな力も
人の大事な営みでも動かせない生命。
共に生きていると受け入れるのが
自然に生きる者たち全ての習い。
温泉を求めて、人の都合で踏み込んでいい場所なのであろうか?
と思っていたが
一番大事なことは、自然を受け入れることだけではなく
家族を思いやることではないか。
病気で苦しむ家族がいたら
何があっても治してやりたい、
その思いは決して、摂理に反する感情ではないはず。
この先もう家族に苦しい風邪にかかる子が出ないように
ちょっと、山の神にお伺いを立ててもいいのではないか。
と、思った。
もし温泉を引くことができたら、我が家としてはめっけものじゃ。
毎日ほかほかに湯気をたてて
手足の隅々まで血行を良くして
気持ちよくおふとんに入ることができるぞ。
どうすれば山の神に会えるかというと
何が住んでいてもおかしくない山のことなので
かわいいわらわが行けば興味を持って、きっと向こうから出てくるであろう。
それに、輝くオーラを持った兄じゃがついていれば、
なおさら目を引くはず。
隠れていられなくて出てくるに決まっている。
あまり出てこないようなら
歌か踊りで誘えばいい。
神様だって、歌や踊りが嫌いではない。
そもそも、心弾む祭りも全て偉大な力に捧げるために行うもの。
わらわが楽しそうにしていれば
向こうからやってくるであろう。
ぽっかぽかの温泉を掘り当てるのじゃ。
みんなで仲良くお風呂に入ってあたたまる時間が
ますます楽しみになること間違いなし。
さっそく、明日にでも山へ探しに行こう。
よいお告げがもらえるであろうか。

観月の偽日記

『神様』

おいしいおこめ。

神様も好んでおられる。
穀物の神は、お稲荷様じゃ。
宇迦之御魂神や豊受媛神としても伝わっており、
稲作の豊穣を祈願する祭りが
現代でも多く行われている。

神に見守られて育つお米ならおいしいのは確かなこと。
わらわや青空や小さい子らが
茶碗を叩いてご飯のおねだりをしても
仕方のないところじゃ。
お行儀が悪いとマリー姉じゃに叱られてしまう。
小さくとも誇り高いレディであるべき、
それはわかっていても
おなかがすいたら
なかなかがまんができない。
ごはんの味が恋しい。

蛍姉じゃがアルバイトに出かけるようになって
家に残った者たちだけで作る
今日がはじめての夕餉。

春風姉じゃの担当した炊き込みご飯は
赤や黄色、紅葉のようなにんじん、たけのこ、季節のいろどり。
立ち上る湯気も深山を思わせて風流じゃ。
でも、おかずが来るまでもうちょっとの辛抱。
冷めてもおいしい炊き込みご飯だから、とのことなので
茶碗を叩いて楽しみに待っていると
こちらは冷めないようにと急いで煮物を持ってきた小雨姉じゃが
二度ほど転んだので
わらわのおかずは
今日は、ちくわが半分。
あとは缶詰の煮魚を分け合って
夕餉は無事に済んだ。
いざというときを見越して買い込んでおいた霙姉じゃのおかげじゃ。
今後も缶詰でしのげるかどうかは、難しいが。
もしも足りないようなら、蛍姉じゃが明日のおやつにもらってきたパンを
今夜は特別に食べてもいいそうじゃ。
ホワイトルームの面々は、初めての夜食という経験にそわそわ。
パジャマに着替えたあとでごはんをもらうとは!
大晦日でもないのに、こんな夜にいいのか?
興奮した顔を見合わせ、話し合う。
何のお祭りであろうか。
新しいお祭り……パン祭り?
八百万の神がいる国ならば、もちろんパンも自然の営みの一つ。
正しくあるよう司る神もきっとおられる。
今日は家族を見守っていてくださるのであろう。
兄じゃもお願いしてもらってくるかの?
それとも、蛍姉じゃをお迎えしたときにもう分けてもらったか?
夕餉を途中で切り上げて、時間に間に合うように迎えに出たものな。
蛍姉じゃが、パンのほかほかの匂いと一緒に運んできた良い知らせ。
クリスマスケーキの予約の受付を、そろそろパン屋さんではじめるから
蛍姉じゃも製作を手伝えるものを
次のアルバイトの時に話し合って決めることになっているので
家族にも相談に乗ってもらいたい、という。
ケーキのことでは一家言あるのが
この家にも多い女子というもの。
あんなに大人しいさくらでも、ケーキと聞いたら主張がある様子。
パンをいただきながらケーキの話をすれば
近いうちに試作品が家でもおやつに出ると聞いた。
まだクリスマスでもないのにケーキが食べられる。
大人になると季節のイベントは早めに準備するものだと聞くが
今年はなかなか思いがけない速さじゃな。
この調子では
歳神様もそろそろ出番かと勘違いしてしまうかもしれぬ。
本当はまだ一ヶ月も先のはずなのに
楽しいクリスマスは駆け足で近づいて来た。
だが、準備は少々早くても
本番が来るのは、泣いても笑っても25日。
そろそろサンタも早めにやってくるのではないかと噂する子もいるが
プレゼントはクリスマス当日ということは、変わりはしない。
わらわは知っておる。
毎年どれだけ町があわただしくなっても、
サンタは毎年きちんと決めたとおりに仕事をこなす立派なおじいさんじゃ。
その日までちゃんといい子で待っているぞ。

明後日の蛍姉じゃの不在に備えて
家事のレッスンは続いている。
台所のあたりは、提灯が並ぶように賑やかな気配じゃ。
あさひは離乳食だから数えないとして
海晴姉じゃと蛍姉じゃが帰宅したときの分も用意して、19人分。
余った分をお弁当にまわす量も確保したい。
台所の騒動を見ていて思ったが
20人きょうだいというのは、もしかしたら
ずいぶん数が多くて、大変なのなのではないか?
ご飯の支度でも、天地をひっくり返すようなこの騒ぎ。
味の良く染みた大根が宙を舞い、
立夏姉じゃの両手のお皿が追いかけて
後から来た面々が次々とぶつかっていく。
うーむ、
今までよくこの人数が成り立っていたものじゃ。
この特別な大家族という存在を
見守る神もまたいるのではないか。
人数が多くて騒ぎが絶えないところに住み着くような
にぎやかなのが好きな神様が、
八百万の神には一柱はおられるのではないか。
毎日何事もなく、家族の平和を平和に成り立たせる力。
なんだか蛍姉じゃが我が家の守り神のようにも思えてきたが
その蛍姉に信頼されて、お迎えをお願いされる兄じゃもまた力あるものの気配がする。
兄じゃは、ケーキにも神様がいると思うか?
ケーキもまた人が過ごす上で欠かせない、自然の営みの一部である以上は
立派な神様がついていてくださると思う。
正しく敬うならば、きっといいことがあるであろう。
あんまり茶碗を叩いてお行儀が悪いと、
神様も怒ってしまう。
小雨姉じゃが何もないところで転んでしまったのは
うるさくしたせいで、お米の神様や大家族の神様がへそを曲げてしまったからかもしれぬ。
おいしいケーキの神様が今年も福を運んでくださるように
ご飯のときはお行儀よく、
小さい子達で声を掛け合って、協力していかなければな。

観月の偽日記

『霜月』

神無月は昨日まで。

出雲に集っていた神々も
戻ったであろうか。
厳しい守護者の留守を見計らって、はめをはずしがちだった妖怪たちは
今日は急に大人しくなったようで、とんと姿を見せぬ。
来年が来るまで、羽を伸ばすのはこれっきりと
昨日のお祭りに乗じてはしゃいでいたようじゃ。
舶来のお祭りなのに、楽しければ無節操。
子供と同じじゃ。
うむ、わらわもじゃ。
パレードにこっそり混じって、お菓子をもらっていく客人は
人ばかりではなかった。
ハロウィンパレードにはだいぶ人も妖異も集ったようで
人を熱狂させる魔力を使うものでもいたのか、
赤字覚悟でお菓子を配ってしまったおじさんたち。
奥さんに怒られていたようじゃ。
聞いた話によると、死者が戻ってくるお祭りであり、
収穫祭を取り込んだとも聞く。
実りを助けてくれるのは、立派な神々だけとは限らぬ。
このあたりにはいつも、出雲に集まるほど立派なものでなくとも
我らの暮らしを見守り、時におどかし、時に助けてくれる友は
たくさんいる。
お礼を捧げることができたなら
これからも、時々は力を貸してくれるかもしれぬな。
昨日のお祭りの賑わいと、もらっていってくださったお菓子の山。
あの者たちにも気持ちが届いたであろうか。
来年のお祭りにもまたいらしてくださると良いな。
仮装コンテストで優勝したカボチャ頭の子と、二位を獲得したシーツの子は
顔を見せないまま表彰台から降りて、どこへともなく去って行ったな。
というのは、もしかしたらの話であるがな。
今日からは神々のもと、しばらくはいたずらをすることもないであろう。
次にあの子らがやってくる時まで家族たちが息災で、
おいしいものがまた我が家にも届いたなら
その時も、一年の収穫に感謝を捧げたいものじゃ。
楽しいことは好きだが、臆病なところもあるものたち。
どこに潜んでやってくるのかわからないから、来年もお菓子は盛大に用意するのが良いであろう。
兄じゃも、お祭りには遠慮なく参加して、たくさんお菓子を配ってくれたら男前じゃぞ。

ハロウィンのにぎわいは去ったが、
これからの時期に楽しみが近づいてくると言えば、やはりあれじゃな。
そう!
霜月神楽じゃ。
しかし、家でも幼稚園でも
これにはあまり同意してくれるものはおらぬが
兄じゃはどうじゃ?
やはり、馴染みがなくてあまり楽しみではないか?
むう……
実際に見に行けるわけではないからの。
大事なお祭りなのじゃが。
もともとは旧暦霜月に行われていた、収穫を感謝する祭り。
今の暦で言えば10月、収穫のあとの時期。
実はハロウィンと同じ目的のお祭り。
それなのにあまり話題にならない。
華やかなのに……
お菓子やプレゼントが存在しないゆえであろうか?
ともあれ、感謝を捧げたい気持ちは確かなもの。
昔からの伝統にのっとり
繰り返す一年の、ひとつの節目。
おいしいものを作る手助けをしてくださった神様に。
我らを取り巻く広い大地、畑と木々とあらゆる場所に座を占める神々に。
この自然を使わせてもらう我らが、ありがたい収穫を報告し感謝を捧げたい。
よき日を選んで
身を清めて。
礼を尽くして、神を呼び。
この時期は、湯を浴びていただき穢れ祓いを祈る祭りが多いようじゃ。
また来年も新たな姿でそのあるべき座につき、人を導いてくれるように。
今日まで一日一日をつなぎとめてきた命に感謝し
来年のこの日を迎えられるよう願う。
その先も、なおその先も
敬う神々と共に地に暮らし、
これからも自分を取り巻く人々と生きていけるように。

よいはしめ よなかはしぐれ
あかつきの かみもどしに あうひとは
寿命ながかれ 命ひさしき
また来年も かくのごとくに
神はゆけゆけ 森はとどまれ
このさとに またくるとしも 神よびもどす

古より連綿と語り伝えられてきた、大切な感謝の歌。
これは、人をこの地に繋ぐ、ありがたい収穫へ捧げる気持ち。
今日もあり続けられた尊き生命を寿ぎ、
喜びを捧げようと昔から続けられた儀式。
小さな地域の祭りは、いかに伝統があろうとも
人の世の移ろいと共に
やがて時の流れに押しやられ──
いずれはすたれてしまう定めなのかもしれぬ。
しかし、人の命を続けていく仕組みが変わることはない。
千年、二千年も前から、何一つ変わってはいない。
どれほど年月を重ねて行こうと、これからもずっと。
そして、親しき人たちと命を喜び合いたくて──
この思いを誰かに伝えたい感情もまた
どれだけ人の営みが移り変わったように見えても、
同じように、あるいは違う形になったとしても
その根っこにあるものは変わらず、繰り返されていくのだと思う。
今年の霜月神楽にも、人々が吉日を迎えられるよう
わらわもこの地で、力及ばずながら祈るばかりじゃ。

観月の偽日記

『常若』

わらわじゃ。
観月じゃ。

伊勢神宮の式年遷宮も
順調に進み、
このすがすがしい気持ちを兄じゃに伝えたくて
氷柱姉じゃに順番を譲ってもらったのじゃ。

おそるおそる頼んだら
こころよく、
じゃあ書けばいいじゃない、
いま忙しいからちょうどよかった。
かわってもらえて本当に助かった。
あーよかった、と。
そんなによろこんでもらえるとは。

氷柱姉じゃも書きたいことがあったであろうに。
これはそろそろ
19人全員で毎日書くべきか。
やるかの!
しかし、忙しくて書けない都合はどうにもならぬな。
ほんとは、わらわも毎日兄じゃに日記を読んでもらいたいのじゃ。
きょうはあんなものに出会ったとか
きのうはあぶないところであったとか
あしたはわるいあやかしに挑戦したいとか
しょうらいは兄じゃと
今はわらわの力も及ばぬ
あれこれに会いに行きたいとか
いろいろあるのじゃ。
でも、毎日書いていると
けっこうたいへんかもしれぬ。
小さい子は、順番の日でも
夜は早く眠ってしまうことがあるし
19回に1回書けるだけでも上等じゃ。
たいへんよくできました、じゃ。
兄じゃも、ちゃんと褒めてやるのじゃぞ。
しかも、あさひにいたっては
日記でもばあばあ
何を言ってるのかよくわからぬのじゃ。
わかるのは、機嫌が良さそうかそうでなさそうか。
まあ、0歳の子を相手にするのはそれだけでいいのかもしれぬ。
家族の様子は、そんなものでいいのかもしれぬな。
兄じゃは、毎日わらわの様子が知りたいか?
でも機嫌が悪いときは日記に書くより
体でぶつかって
遊んでもらって
抱っこしてもらって
そのまま寝てしまうのが気持ちいいから
日記ばかりでなくてもいいのであろう。
兄じゃも機嫌がさえないときは
ぶつかって来ると良い。
全力の突進を受け止めるのは無理なので
そこはがまんしてもらって
加減してな。
抱っこはできるぞ。
身長の差は、
かがんでもらえれば!
いくら術を使っても
急に背が伸びたりはしない。
八百万の恵みは、自然の恵み。
あんまり世の常に反したお願いをすると
ばちがあたってしまうから
兄じゃは、幼児に抱っこされるくらいでいるとよい。
そのうちわらわも大きくなるので
身長の差があって腰が痛くなっても
もう少しの辛抱じゃ。

さて、今日のわらわは
オーラが澄んでいるであろう?
20年ごとの式年遷宮。
その場に行って参加したわけでもなく
テレビで見ただけだが。
でも、ありがたい力が伝わってくるのはわかるぞ。
神宮も新しくなって
その気を受けるものたちも若々しくいられる。
キュウビもよっぽど嬉しかったのか
ぴょんぴょんと
あっちに行ったりそっちに行ったり
ちょっと離れて見ていたら何匹いるのか分からないくらいの勢いで
残像を残しながら
そこらじゅうを跳ね回っている。
うさぎなのか
こどもなのか
キュウビはいったいなにものなのか
わからなくなるほどじゃ。
というか、
よく見たら実際に2匹いるのじゃ。
分身の術みたいな動きをする、と感心していたら
残像ではなかった。
いつの間に増えたのであろうか。
呼び寄せて、並ばせて
点呼しても2匹。
早く動けば増えるというものではないと思うが
まあ、珍しい式年遷宮もある年だから
キュウビが増えることくらいあってもおかしくないか。
はしゃいでいる今はいいとして、
疲れたときはどっちがわらわの頭に乗って休むのか?
もしもけんかするようなら、兄じゃが片方預かってくれぬか?
わらわとオーラも似ているから、納得してくれるかの。

次の遷宮は20年後。
また天照様の力が若々しく蘇るその日まで
わらわも清浄でいられるであろうか?
心身を清らかに保つ努力を続けたいものじゃ。
水行をしたり
寒修行をしたり
酒で清めたりな。
次の遷宮には、あさひがちょうど20歳。
酒を教えてやるのが楽しみじゃな。

観月の偽日記

『しづけさや』

いわにしみいる
せみのこえ。

詠み人知らず。

うそじゃ。

松尾芭蕉の句じゃ。
蝉が鳴くのに閑とは
どういうことかの?
今日もうるさく鳴いておった。
まだ、ずいぶんいるものじゃ。
秋の気配がしたと思っても
しぶとく根性を見せて鳴いている。
真夏の間は
この暑いのによくやると
そんなに気にしていなかったが
今くらいになると、感心してしまうの。
暑い日を見つけたら
ここぞとばかりに飛び出して
今を逃してはならぬと、いっぱいに声を張り上げる。
お仕事でしているのか?
それとも、お楽しみか?
聞いても答えは戻って来ぬが
確かに、セミ達にとっては今しかできないこと。
この騒々しさも、まもなくいったん幕を下ろして
しばらくは聞けなくなる。
惜しいの。
そんな物思いも関係なく
力いっぱいにわめきたてている。
わらわも、暑さのせいもあって
だんだんどうでもよくなってくるというか
細かいことはどこかに飛んで行って
しみじみしている気分でもなくなってくる。
ふー。
夏はまだまだ盛りじゃの。
西瓜や桃はもう見かけることも少ないが
甘い葡萄は八百屋さんに並んでおる。
もう少しの間は、アイスもおいしくいただけそうじゃな。
気持ちまで夏に逆戻りしてしまうのも
強烈な蝉の声のためかも知れぬ。
元気なのは、いいことじゃ。
大声を出すことにかけては
我が家のみんなと競っても、負けてはおらぬ。
とは、言い過ぎか。
子供の声のほうが、さすがに大きいからな。
戻ってきた夏に喜ぶのは、蝉ばかりではない。
もう水着とビニールプールは仕舞い込んだが
薄着はまだ健在。
夏服の組み合わせに挑戦を続けて
大胆な心地、
目にも華やか。
おっとり上品な秋色の重ね着は、
あまりにもぎらぎらした太陽の下では脱ぎ捨てたい。
炎天下の着こなしは
あたかも孔雀か極楽鳥か?
原色の毎日じゃ。
水分補給も気をつけて
塩分、ミネラルをしっかりとって
子供はお外に飛び出して
夢中で汗をかく。
たまのそよ風が、心なしか涼しくなってきたのも気持ち良く
自然の一部に戻る小さき子たち。
わらわもまた、
お外遊びのときに選ぶ袴は、短め。
ぽっくりよりも、運動靴。
脱げたり鼻緒が切れる心配もなく
球蹴りに興じる日であった。
家の中で着替える緋袴は
神聖な衣装ゆえ、伝統を守っていきたいと
わらわには少々大きい、お姉さん向きのもの。
すぐに背も伸びるから、ちょうどよいであろう。
夏の間は、暑くて身に着けるのも難しかったことだし。
やはり正装は気が引き締まるの。
と、着替えたら
今の時期でもそれは暑いんじゃないのかと
注目を浴びた。
蛍姉じゃは、裾をあげるならすぐできるとのことじゃ。
背が伸びたらまた元に戻せるからと。
暑いのはその通りじゃ。
伝統というならば5歳の巫女もあまりいないであろうし
運動の秋で動き回る機会が増えるのは、
着替えるからまあよいか。
家の中で走り回ったら怒られるからの。
この裾では、よほどおしとやかにしていても転ぶ恐れがある。
見ていてハラハラするそうな。
わらわの美しいかんばせに、転んで傷がついてしまったら
兄じゃも悲しいであろ。
なんてな。
ふふふ。
明日は、お休み。
手が空いたときに裾をあげてもらえるというぞ。
遅ればせながら、この夏、一味違う涼しげな観月のお目見えじゃ。
楽しみにしておれよ。
蛍姉じゃも文化祭のお仕事がたくさんあるところに
ありがたいの、
何やら考え込んでいるようでもあった。
きつねと言えば巫女も似合う。
悩ましい、きつねめ!
などと。
兄じゃもお休みか?
ヒカル姉じゃは、演劇と体育祭に向けて
なるべく体を鍛えておきたいという。
三連休は台風が近づいて
あいにくの雨の予報ではあるが
兄じゃもヒカル姉じゃも、そんな天気では出かけられぬし
ごようもないであろ?
わらわも、腹筋の時に足を持つなどするので
仲良く筋トレをするのが吉じゃ。
マリー姉じゃと二人がかりで
兄じゃを押さえ込めば
体重がつりあうくらいになって
ちょうどよく腹筋ができる程度には
わらわも大きくなったぞ。

観月の偽日記

『おっぱい風呂』

曇天からは、ぽつぽつと。
降るやら
降らぬやら
天の神様も決めかねる。
久しぶりの幼稚園で
汗をかくまでおうたをうたっても
帰り道は風も涼しく
誰かにくっつきたいここちして、
恋しい恋しい
家族の肌じゃ。
兄じゃよ!
だっこしてたもれ。
お風呂に入ったからきれいになったゆえ、
遠慮はいらぬ。
家族の守るべき約束でも、決めておる。
遠慮はしない。
でも、
秘密があるのはOK。
うむ。
お風呂も、兄じゃと一緒に入りたかったの。
幼稚園でどれだけ泥だらけになって遊びまわったか
実際に見てもらえれば
話も弾んだであろうに。
湯船に入る前に
体中を泡立てたら
それがみるみるうちに茶色に変わり
立夏姉じゃいわく、
アメリカのコマーシャルか!
そうなのか?
確かにこれなら、よく落ちることは一目瞭然。
売り上げ効果も抜群であろう。
石鹸の力ではなくて、わらわの汚す子供力であったが。
夏休みの間も、お風呂では毎日ずいぶん汚れがわかって
家族と遊ぶと違うのうと感心しておったが
やっぱり今日は、久しぶりだと思って
はしゃぎすぎたかの。
ちょっとお疲れかもしれぬ。
そしたら、
立夏姉じゃのおひざに乗って
湯船に肩までつかって
ふー、極楽。
疲れが吹っ飛んでいくのじゃ。
ひとっ風呂浴びたら
元気が戻る。
わかさじゃ!
そうやって湯船につかると、
にらめっこすることになる
蛍姉じゃのおっぱい。
どんぶらこっこ、
どんぶらこっこ、
流れにたゆたう
ふたつのこぶね。
うーむ、あれが母性というものか。
視線を上げると、蛍姉じゃの表情も極楽気分。
ふりむくと、立夏姉じゃもえびす顔。
お風呂は気分が良くてすてきじゃ。
毎日でも入りたいものじゃな。
まあ、入りたくないと言ったら怒られるか。
兄じゃもお風呂で毎日きれいにして
石鹸の匂いのするいい男でいるのじゃぞ。
明日は、兄じゃも蛍姉じゃも一緒に入って
楽しくお風呂がいいのじゃ。
うちは細かいことを気にしないから
きょうだい仲良く一緒にお風呂に入るのは当たり前。
細かいことを気にする子もいるが
このくらいなら、たぶんかまわぬであろ。
それから、吹雪姉じゃも誘おうぞ。
急に涼しくなって切ない顔。
小さい子は手を繋いでいないとどこへ行ってしまうかわからぬが
熱に弱い吹雪姉じゃは、手を触れられなくてちょっと寂しい。
涼しい季節にみんなが手をつなぐようになると、
自分は理性的で冷静だから、手を繋ぐ理由はないとごまかす。
理由はいらぬ。
小さい子は、大人に甘えるものなのじゃ。
わらわもそうしておる。
家族の約束もある。
お風呂はお好みでぬるめにして
子供が入るときの約束は、
肩までつかって
とおまで数える。
ひー、ふー、みー、
わらわだけ数え方が古風であろうか。
昔の学問に触れるのが好きで
昔の人とお話をすることも多い。
神も昔は人なれば。
よく、家族にも聞かせたい教育的な因果話を多く伝え聞いてもいるが
怪談の季節が過ぎると、なかなか機会がない。
ま、おいおいな。
数え方が少し違っていても、
体が少し弱くても、
とおまで数えるのは変わらぬ。
子供の誇らしいお仕事。
具合が悪くなったときに助けられるよう
神様も、大人も、ちゃんと見ているから
安心してよいのじゃ。
見ての通り、
大人になったらその証に、おっぱいが大きくなる。
難しいことを考えて大人っぽい吹雪姉じゃも
そろそろいいおっぱいを持てるかの。
もっと甘えていたいかの。
もしかしたら、兄じゃだって
何かのきっかけで膨らんでくるかもしれぬ。
男らしく家族の一員でいてくれる立派な兄じゃ。
たまにはちょっと膨らんでいたって
ごあいきょうじゃ!

観月の偽日記

『シーサー』

かつては、
霊峰で修行を積んだ
偉い人でもない限り
空を飛んだりはできなかったが。

時代は移り変わるもの。
飛行機に乗ってどこまでも飛べるようになって
空の不思議たちと翼を並べて、わらわも
思いのままに遠くへ行くのじゃ。
飛行機に乗って、
きゃ、
きゃくしつ
じょうむいん
さん?
にも、会ったぞ!
蛍姉じゃが惚れ込んで真似ている
あれが本物じゃ。
生のアテンションプリーズじゃ。
憧れの職業。
狐が化けたわけでもなく
狸が化けたわけでもなく
蛍姉じゃでもなく
本物!
厳しい訓練をつんだ、本職のひと。
修行時代には、本当にドジでのろまなかめだったのかと
怪しむほど
てきぱき、自信にあふれて
飛行機の運航を支える
すてきな働くお姉さん。
あまりにも立派で、
見ていると
寿命が三年は延びそうじゃ。
たいへんお世話になったの。
兄じゃよ!
同じ姿勢で場所に長く座っていると
体に悪いという。
飛行機に乗るときは、
たまに少し体を動かしたり、
水をもらわないといかん。
遠慮なくお姉さんにお世話になるのじゃぞ。
飛行機をよく知る先達に、
少々遠慮しながらも
きちんと甘えるのじゃ!

空を飛ぶ
大きな力を手に入れたとて
過信は禁物。
人が大空の主であるかのように
我が物顔でのさばっていても、
妖怪たちにつゆほどの影響などなく
変わらぬ営みは続く。
この地に来て知ったこと。
土地の守り神は、どっしりと腰を下ろして
小さな人間たちを見つめている。
ホテルのお庭にも見つけたぞ。
悪い子を戒め、
善行を薦める
いにしえよりいます守護。
このホテルも、シーサー様の像に守られておるのじゃな。
ありがたいことよ。
人の身には限界がある。
わらわをとりまく畏敬すべき力に支えてもらいながら
人として霊たちに感謝をする
千年二千年と変わらぬ関係。
少し便利にすごせるようになったとて、
忘れてはならぬ謙虚な心。
あまり、悪いことはせぬようにな。
怒られるぞ。
おねしょを隠したり
にんじんを残したり
みみずにおしっこをかけたりしたら
シーサー様がちゃんと見ていて、
こら!
いたずら好きの
あくたれこぞうめ!
心に語りかけてくること、請け合いじゃ。
それは言葉ではなくとも響いてくるはず。
きちんといい子にして
礼を尽くせば
気持ちもさわやか。
いいことありそうじゃ!
明日は、旅歩く足を少し伸ばして
琉球村でお祭りの踊りを見たり
着物体験をする予定。
華やかでかわゆらしい伝統衣装に袖を通して
シーサー様にも認めてもらえるであろうか。
それから、予約をしてあるのが
シーサー絵付け体験だそうな。
ありがたい神様に
静かな祈りを捧げる儀式
ということは特になく、
かわゆいちっちゃなシーサー様に
きれいな色を思い思いに
一生懸命、塗ってさしあげて
みんなで楽しむのだと聞いた。
わらわのシーサー様が
一番きれいな姿になってもらえるといいがな。
兄じゃも、がんばって良いものにしないと
シーサー様が吠えかかってくるかもしれぬ。
がーお!
一週間限りの滞在ではあるが、
遠い土地からやって来たこの家族の幸せも
どうか支えてくださいますよう。

観月の偽日記

『小鬼』

夏至に訪れるマホウは
結婚のマホウ。
だそうじゃ。

過ぎてしまったの。
兄じゃは、結婚しなかったの。
年齢的に、まだ早いという。
そうか?
あるいは、実はもう結婚しておるかも知れぬ。
こっそり、わらわにだまって
そんないいことを。
楽しい宴もなしに
秘密の愛を。
そうでもないか?
ひそめた思いの通じ合うのも楽しいが、
わらわはやっぱり、一生の一度のこと。
せっかくだから
華やかに祝福されるのが良いかと思う。

夕凪姉が、
妖精のマホウは真夏だと思って待っていたら
過ぎてしまったので
タイトルにだまされた!と
びっくりしておった。
本当は、夏至らしい。
海を渡ってきた習慣には
あいにくわらわは詳しくない。
しかし、夕凪姉もがっかりするのは早い。
この季節、妖精ならずとも
様々な狐狸妖怪がわんさか。
本朝の話なら、わらわにおまかせじゃ。

夏の妖しい風習といえば怪談。
真夏の怪談が涼しい理由は
恐ろしい話をしていると、寄ってきてしまうから。
いや、安心せい。
わらわが正しい儀式を知っている。
あらぶるもの、よこしまなものを鎮める方法。
怖い話をして何かあったら、きちんとわらわを呼ぶのじゃぞ。
ちょうど今の時期は、訪れるものが多い。
腕を磨いておく季節。
修行も、精進潔斎も、準備万端じゃ。
わるいものも、力あるものも、いっぱい来るぞ。
迎え火で招くご先祖様にも、
わらわの成長したところを見せるのじゃ。

いたずらをするものは
伊与狸に佐渡の弾三郎狸、
それに、この季節は
知らないお祭りが開かれていると
魅惑の匂いに誘われて近づいてみたら、
見たこともない品が並ぶ
不思議な市であったりもする。
爛熟の果実が香る露店に気を取られて
提灯の影に隠れる商人の姿が実は
人より小さな生き物であることに気がつかない。
うかつに足を踏み入れてしまったら、
呪いに取り込まれて、
逃げ出した後も正気に戻れぬ。
闇の宴を夢見て、
求めても二度と得られぬ魔法の果実を思いながら
さまよう、新しい魔物になる。
やつらの仲間入りじゃ。
そうなってしまったら、やつらの思うつぼ。
いかにして元に戻れるか、果たしてわらわのお祓いが効くものか。
容易に誘われぬように、気をつけておれ。
魔界の香りなんかに惑わされてはいかん。
迷わぬよう、
おうちで満足行くまで味わっておくといい。
お腹いっぱい詰め込もうぞ。
種類もさまざま。
夏のおいしい旬のもの。
子供にも人気の、定番は──
もちろん西瓜に、
甜瓜や桃、葡萄。
もとより桃と葡萄は神仙の霊験もあらたか、ありがたい果実。
妖魔の季節にうってつけ。
とはいえ、うちの家族はそんな細かいことは特に気にせず、
夏の果実のお好み、それぞれにごひいきがあるようじゃ。
わらわも、神仙の儀式は関係なく
甘い桃!
みずみずしい西瓜!
が、大好きじゃ。
兄じゃはどれが特にいけるであろうか。
台所の主におねだりしておくとよいぞ。
ホタ姉じゃも、春風姉じゃも、
聞いてくれるぞ。
家族それぞれに一番は分かれるものの、
食卓にどれが並んでも
みんなが喜ぶ
季節の宝物、
夏の甘い果実。
小鬼の宴に魂を抜かれぬよう、
ここでたっぷり、分け合おうぞ。
夕餉の献立は、今日は桃。
皮を剥いて小さく切って、子供でもぱくぱくいける。
おっと、いかん。
明日のお買い物の予習にと
かけておいた電車の映像に気を取られて
だらりだらり、手が汁でべとべと。
はかまの上はちょっとした水溜り。
後で粘るから大変じゃ。
お洗濯をして、
お風呂に入って、
綺麗になったら、早く床につかねば。
そう、今日のところはな。
まだまだ小さいわらわゆえ、
夜更かしして魔物退治は、少々不便。
夏休みでも夜歩きは怒られる。
魔物からは逃げて明日にして、夜は良い子でねんねしようぞ。


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