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吹雪の偽日記

『ウェディング』

現在はまだ発見されていない科学法則が
あるとして。
その法則は、私たちの生活を大きく変える
根本的なものだとして。
私たちは今も、誰もが気づかないうちに
自然と、未知の法則に従っているのだとして。
やがて新しい知識が増えたときは
こうして続けている日々の当たり前の暮らしで
かけがえのない喜びを知って
普通に暮らしていく
ほんの小さな助けになるのだとして。

仮にそのような場合があるとしても、
今の時点では
不思議な力の存在を前提とした考え方は
全てに根拠がないか。
あるいは、慎重に時間をかけて
大勢の手によって試験を重ねる必要があり
実際の現象として確認するのは難しい。
おみくじの大吉や四葉のクローバーが
必ずしも幸福を運ぶと断定はできない。
ウェディングケーキにクロカンブッシュを用意したとして
望んでいるほどに子孫繁栄が叶うと、誰も保障ができない。
バレンタインに思いを込めたチョコレートの
その全てに
愛を伝える奇跡の力が宿っているかどうか
知る物はどこにもいない。
そもそも、チョコレートは日本だけの風習だそうで
なぜここまで日本でチョコレートが定着したのか考えてみると。
全国で気温が下がる季節であり、
体温の維持にカロリーを効率よく摂取できる食品が
好まれるということなのでしょうか?
チョコレートという食品は、極端に苦手に感じる人は
少なくとも、男女関係の成立に関心がある世代であれば
あまり多くないようだし。
贈り物としては無難な部類であるといえます。
また、恋人に本を贈るイベントが定着しなかったように、
食事は人間の活動の重要な部分を占めており、
やはり興味を持つ人が増えるのでしょう。
キミも私から
数学の本を受け取るよりは
チョコレートを手渡されるほうが
うれしそうでしたね。
……
まあ、ともかく。
もうすぐバレンタインですが
チョコレートを一度にたくさん食べるのは
健康面を考えたらあまりよくない。
気をつけてください、
と言っても
キミのことであれば
私たち家族から贈られたチョコは
たとえ少々怪しいものであっても
とても喜んで食べてしまうので
忠告が難しいのですけれど
言わずにはいられないので
気をつけてほしいと思います。

おそらく、チョコレート本体には
愛を伝達する性質は含まれていない。
構成する成分にも、手作りか店頭の商品か、できあがった品にも
そこには何も
魔法のような未解明の力は存在していないと予想できる。
バレンタインにやり取りされるのは
ただ純粋に
贈る側の思いと
受け取る側の揺れる心。
果たしてチョコレートによって全ての恋が叶うのかどうか
現代科学は何も説明していない。
であるのなら
何も、チョコレートを贈ったから
必ず愛の告白になると決まってはいない。
普段の生活を共にしていれば
どのように愛情を伝えたい関係であるのか
はっきりとではなくても、少しなら類推できるであろうし。
まるで恋愛感情と縁がない相手であるならば
チョコレートを贈ったからと言って、恋愛が成立する可能性は低い。
だから難しく考えるよりも
普段から信頼している家族が推奨する通りに、
まずはチョコレートを贈ってみてから判断してはどうなのか?
といった趣旨で麗姉を説得してみたところ、
そういう問題じゃない!
とのことで、話はそれっきり。
詳しい説明はなかったので
どのあたりが納得しかねたのか、
私には推測が難しい状況です。
ここまでの理論のどこに
麗姉の抵抗を呼ぶ内容があったのか。
今回は力になれなくて申し訳ありません。
キミは今日も寒いリビングで、ソファに眠るのですね。
私たちの部屋であれば、
星花姉と夕凪姉が工夫をして
ベッドを一人分くらいならあけることができるそうです。
その気になったら、いつでも来てください。
キミの体調を心配している子が多いように
麗姉のことは、家族もみんな気にかけています。
素直に気持ちを表現するには
実は、普段から絶え間ない努力が必要になるという。
そして、相手に気持ちを伝えるにはもっともっと
努力を続ける時間が要る。
失敗が続いてもあきらめるべきじゃない。
人は失敗をしていく生き物。
それでも伝えたい気持ちがあって、
自分の中からあふれていく何かがあって
止まらないのであれば。
とても難しいことだけど
いつも自分の気持ちを表現して
伝わるように努力することは
続けていかなくちゃいけない。
麗姉にも、まず最初の一歩を踏み出してほしいと
そんな意見を聞きました。
努力は続けなければいけないらしい。
私が伝えたい
自分の本当の気持ちは
いったい何なのか。
2日後のバレンタインまでには、言葉か、あるいは目に見える形にして
キミに伝えることができるのか。
それとも間に合わないのか。
当日は、カロリー摂取量が多くなりすぎるとしても
私のチョコレートを
受け取ってもらえたら
そのときは、はたしてどれほどうれしいのか。
予想も何もできない。
チョコレート作りの練習は、続いています。
上手な子も、苦手な子もいて
私が上手であるとする客観的な判断材料は、いまのところ多くありませんが
当日は。
なるべく上手に作ったチョコを届けたいと考えています。
家族の間で話題になっているように
果たして蛍姉は本当に
チョコレートでウェディングケーキを作るつもりなのか
私の観察ではわかりません。
ただ、できれば
負けることがないチョコレートを届けることができれば。
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吹雪の偽日記

『ニューイヤー』

あけましておめでとうございます。
新しい年になりました。

しかし私は
たった一晩を境に年の表記が変わって
すっかり新しい気分になるらしい、というのは
性急過ぎるようで、納得いかない感覚もあります。
ユキは成功していたことで
年が変わる時間に私が起きていられなかったのも
関係しているのでしょうか?
こちらが年上なのに、先を越されてしまいましたね。
うれしそうにその経験を話してくれて
その場にいなかった私が、ユキの熱心な語りのおかげで
聞いていなかったはずの鐘の音が耳に鳴り出す気がしてくると
正直なところ、少しはうらやましく感じる自分を発見しますが。
ユキはふだん、あまり自慢になるところがないと思っているようです。
私に追いつけそうな立派なところが何もないと。
そんなことは決してないのですが。
キミも、ユキのよいところを多く知っていると思います。
ときどき見つけることがあったら
言葉にして伝えてあげてください。
私もなるべくそうします。
ユキは状況を丁寧に話して
気持ちを伝えるのが上手ですね。
年越しの時間に起きていたユキは
一番最初の年の初めに、家族とお祝いの挨拶を交わせて
自慢というには違うようですが
とても喜んで話していました。
どうも私はその場に立ち会えなくて、実感がいまひとつなのかもしれません。
昨日と今日では、いったい何を具体的な境目として
何が違っているのか?
新しい年がおめでたいのはなぜなのか?
なぜ多くの人がこんなにも喜ぶのか。
夕凪姉は、
ついに新しい年が来たなんてすごい!
誰がしたことかわからないけど、
きっとパワーを持っているマホウ使いに違いない、
ミラクルな力でやって来た
今日はマジカルニューイヤーだ!
と、言っていましたが
暦は普通の人間が作ったものであり、
マホウの力は使われていないと思います。
人は暦を設定する利点に昔から気がついていました。
世代を重ねて生活を続けていく際、暦が果たした役割は大きい。
グレゴリオ暦が導入される際の戸惑いを伝えた記録など、
暦に関する興味深いエピソードは数限りなくあります。
しかし、新しい年の何がそんなにもうれしいのか
歴史は詳しく説明していないような気がして
調べてみました。
昔は1月1日に歳をとることになっていたらしい。
なるほど……
我が家でも月に一度か二度は迎える、あのにぎやかな誕生日が
誰にでもいっせいに訪れるのであれば
大変な騒ぎになるはずです。
想像してみると
収拾がつくのかとてもわからないほど。
これは、私たちの家族を基準にして想像したためかもしれませんが。
いくら同時に歳をとるとはいえ、
昔の子沢山の家でも、多くて子供が十人ほどの家族が一般的だったようだし
二十人は──
歴史的に見ても、かなり珍しいかもしれません。
前例が少なくて先人を参考にできる部分が少ないのに
よく安定した生活が成り立っているものです。
私たち年少を指導している年上のきょうだいには、
尊敬と感謝の念を今まで以上に感じるところです。
いつもありがとうございます。
私ももうすぐ、年が下の妹たちを見守ってゆく立場になります。
やがて遠い先には、私自身が子供を生んで、ひとりひとりを育てていく。
その時に果たして、騒がしい環境に私が適応しているのか。
同じ時間を共にしているであろう
一緒に小さい子を見守る人たちの力を借りながら、努力していくことにしましょう。
でも正月に歳をとるのは、誰もが一度に年齢を重ねる利点を取り入れて成立した制度ですから
現代のように生まれたことを感謝する日とは違うでしょうか。
今の私たちほど、にぎやかに喜ぶ誕生日にならない可能性もあります。
私個人としては、あまり騒々しいパーティーよりは、静かに時間の流れを感じるほうが
性格的に合っている気がしますが。
昔の制度と今ではどちらが好ましいのか、決めかねます。
それは騒々しさだけを基準に選ぶわけにはいかない、
私の家族の大事なイベント。
ともあれ、古い習慣では
ひとつ年齢を増やす節目の日が今日でした。
新しい年が来て、私たちもやがて誕生日を迎えて
年齢を重ねていくのだと考えれば
新しく迎えた新年を喜ぶこともできるでしょう。
私の場合は正確に言えば、
理由はともかく喜んでいる家族を見て、
考えながら、これが喜ぶものなんだと学習していく、
という形になるでしょうか。
家族全員がそろって新しい年を迎えたことを喜びたい。
キミと並んで今年も年齢をひとつずつ重ねる。
人は自分の感情を常に正しく判断できるとは限らないけれど
私はたぶん今、喜んでいる。
おめでたいというのか、そわそわするのがうれしいような
普段あまり体験しない感覚です。
年に一度のお正月。
また来年まで、
この気持ちを詳細に分析する機会は訪れないでしょう。
その時が来たらまた
ぜひ話を聞いてください。
いくらなんでも気が早いお願いかもしれませんね。
今はこの一年の始まりを喜ぶことにしましょう。
新年、あけましておめでとうございます。

吹雪の偽日記

『旅する夜』

昼の12時頃から目立って降り始めた雨は
私の家族たちの帰宅時間に渡って降り続いたため、
今日の夜は帰宅時の寒さが何度か話題になりました。

また、それ以上に多く聞かれたのは
雪の話題。
より精密に言えば、
雪の降る時刻に関する話題です。

夕方を過ぎても雪にならない天候に、
不満を持つ姉妹もいたようです。
キミはそれほど不満はなかったようですね。
やはり、あまり雪は降らないほうがいいと思いますか?
電車が止まる心配もあります。
家族が夕方の天気予報に釘付けになっている最中に、
関東平野の一部で五センチ、関東北部では十センチ程度の積雪が予想されるとの予報に
このあたりは雪遊びができるほど積もらないと嘆いた立夏姉を
慰めているときのキミは、
できれば一緒に遊びたかったらしい発言もありました。
積もるほど降らないことが予想できていたから
今日の天気を容易に受け入れたのでしょうか。
帰宅時の足や、寒さの不安よりも
家族と遊べるかどうかが基準である様子は、
キミにとって雪はどのような解釈で受け止める現象なのか、
そのような基本的な部分も未知であることを知らせる。
今もって私に、キミが複雑な謎と疑問の凝縮であることを実感させる。
私はクリスマスの歌が苦手であっても、
キミがどのような態度でクリスマスの到来や
それにちなんだ歌を見つめているのか観察できるのならば
参加してもよいのではないか、と考えたことはあります。
いえ、しませんが。
そういえば、霙姉の話によると、
学校のハンドベル部に病気で欠員ができて、
今からでも助っ人を歓迎しているとの話ですね。
年齢も性別も不問とのこと。
合唱と協力する曲があるため、土曜日と日曜日には合同練習があるとか。
募集しているのは、練習すれば誰でもできる簡単なパートの担当だそうです。
いえ……
しません。
本当です。
それはともかく。

雪だるまが作れるほどではないとしても
木の実の赤い目と葉っぱの耳をつけたうさぎが作れるくらいなら。
明日の朝に少しは積もっているだろうと
自分の目で確認してからベッドに行きたい。
そのような期待を口にして、
お風呂のあともカーテンの隙間をあけて雨模様を見つめていた子供たち。
くっつきあって、押し合って
しゃがんで丸まって、固まりあう後ろ姿。
氷柱姉は、もうこれでちっちゃいけものたちみたいな眺めだから
うさぎを作るまでもないんじゃないか、と
よくわからない理屈で、小さい子を早く寝床へ追いやろうとしていました。
屋外の冷気が伝わる寒い窓に張り付く子たちに
せめて暖かくしてほしいと、湯気の立つミルクを運んでいたのは蛍姉。
一目でも初雪を見ることができたらと張り切っていた姉妹も
ひとりまたひとり、眠り込んだくたくたの状態で部屋に運ばれて行き、
もし降ったら、寝ていても起こしてねと話し合ったことを思い出しながら
最後に残った私が、このリビングのカーテンの隙間から
ついに雪に変わりはじめた天候を見ています。
今年も私たちの住む場所に、初雪がやって来ました。
熱い飲み物が苦手な私に、
風邪を引かない栄養をとるように用意されたはちみつ入りのレモネードは
何度かのおかわりのあと、
蛍姉の就寝後の今、もう空のカップのどこにもありません。
約束をしたと言っても、雪を待っていた子たちを今から起こして回るのは問題でしょう。
この日記を届ける頃には、私はベッドに入っていると思います。
蛍姉に注意されたとおりに、
カップの片づけを済ませ、
歯磨きももう一度きちんとしてから
布団をかけて暖かくして休んでいるはずです。
あるいは、この日記を読んだキミが
私を探しにリビングに来ることを期待して
もうしばらく、この場所に残っているかもしれません。
その時のために用意する飲み物は
私に合わせてレモネードでいいのか
それとも、温かいミルクやホットココアなどは
こんなに寒い時刻なら私にも用意できるのか、考えています。
また、私が部屋に戻った後に
もしも後からキミが来るとしたら、無駄足にならないように
蛍姉の注意を忘れたふりをして、空のカップを置きっぱなしにして
片付けの仕事を残しておくといいのか。
ただ一人で見ているには、あまりにも不思議な思いがする景色。
雪がこんなに白い理由は、
不思議な妖精のしわざなどではなく。
観月が言うように、さくさくと雪を踏みしだいて山を行く雪女がいるからでもなく。
単に光の性質だと知っている。
光は波長によって七色の可視光線に分解され、
水がプリズムの役目を果たして虹が発生するのと比べて
雪は透明度の関係から、不完全に通過した光が混じり合い
人間の網膜に白色として捕らえられる。
説明してみればなんでもないメカニズムなのに
私が見ているこの風景は
やけに特別に思えて
誰かと眺めていられたら、と考えている。
理由はわかりません。

こんなにも特別に見える雪も、
見慣れてしまう頃には春が来て、
なかなか見ることのない遠いものになっていく。
それまでの冬の期間に
この不思議な景色に、私は本当に慣れることがあるのか、
初雪を迎えた今は、まだ正確な予測ができません。
あるいは冬の長さは、慣れるには短い時間なのか。
それとも私は、雪の夜の神秘的な眺めが気になっているのか。
雪を見た自分の中に発生している、理解できない感覚の答えを知りたいのか。
答えが出なくても、ただ誰かと話をしたいだけなのか。
雪の夜が人に特殊な感覚を与えるその理由を、私は知らない。
隣にいたらと思い浮かべる人が決まっているのはなぜなのかもわからない。
次第に多くの謎が明らかになっていくこの世界において
いまだに解明できないものがここにもあるようです。
雪に見慣れるには短いようであっても
寒さを増す季節には
私が心配するべきことは他にあるのではないか、とも考えています。
それは、雪だるまを作れるかだとか、
恐ろしい雪女の到来ではなくて、
電車が止まってしまう心配も、もうすぐ必要なのだろうけれど。
並んで雪を待っていた小さい子たちが暖かくして眠っているか
この気温を体感していると、気になっている。
であるならば、
やはり私が待つならば、温かい飲み物を作っておくべきなのかもしれない。

この日記をキミが読み終えたときに
私が存在している場所はいったいどこなのか。
いったい何を手に、その場所にたたずんでいるのか。
もしも出会えたのならば、初雪についてどんな会話を交わすのか。
私が今いちばん伝えたいことは何なのか。
あの名高いシュレディンガーの例えを思い出すまでもない日常的な風景なのに
観測者を待っている私には予想がつかない。
であるならば、私もまた量子と変わらないのか。
このような雪の夜には、霙姉が言っているように
宇宙に比してあまりにも小さな人間の存在を思えばいいのか。
雪の夜に私が話したいのは、そのことではない気もします。
明日の朝には、わずかに積もった雪も、変わり始めた雨で溶けてしまう予報。
心を奪うこの景色を離れて、ベッドへ向かう決心がつくまでの間に
果たして答えは出るのか。
そもそも、一人で考えていたら答えが出るのか。
私はそれすらも知らない。

吹雪の偽日記

『ボーダー』

冬の早朝、
窓の外には
枯れて色をなくした木の葉と
冷気に耐える樹肌。
薄い霧もかかる朝には
未だ降雪の気配は見えないのに
白く染まりはじめた世界。
私たちの住む地域に霜が降りるのも、まもなくでしょう。
地中の水分が凍ってできる霜柱は、霜とは別の現象で
さらに厳しい冬の気温が条件になっています。
我が家の子供たちが
朝の寒さも気にせずに霜柱を踏もうと外に出て行く
そんな寒い日が来る頃には、
雪の訪れも現実的な予測として近づいているはずです。

それが、だいたいいつごろになるのか
例年の記録を参考にしてみると。
関東地方で、クリスマスに降雪を観測する年は
あまり多くありません。
ただ、可能性が少ないながらも
雪の降る聖夜を待ち望む人たちは
気象条件の整った国ばかりでなく、日本にも多いようです。
西高東低の冬型の気圧配置を考え合わせると
主に太平洋側の地域においては
気象の面で条件的に向いていないと思われるのに、
なぜか、全国的に定着しているイメージ。

偶然にも、
遠い厳寒の国からそりをひいてサンタクロースが訪れる
このクリスマスが、
私たちの住む国でも各地で雪の訪れの可能性がある
境界の時期になるのかもしれません。

寒い季節の訪れは歓迎します。
家族はあまり喜ばないようですが。
体調を崩すかもしれないと、
私の薄着にも、セーターを重ねようと試みています。
自己管理が難しい小さい子ではないので、大丈夫です。
そうは言っても、
運動して一時的に体温が上がった子供と区別がつかないらしく
風邪の心配をしているようです。
やはりキミも、私がこの季節にふさわしい装いになることを望みますか?
それとも、私が自分で想定している快適な温度を保つべきだと
思ってくれますか?

この家には、寒さに弱い体質の子も
比較的強靭な体力を持った子もいて、
ヒカル姉は、少し調子が悪いと感じても
栄養をとって休めばすぐ治ると宣言しているし、
ユキは大事をとって外遊びを控えることが多い。
しかし、ヒカル姉も風邪で伏せってしまうことがたまにはあるようで
どこまでが健康を保てるラインか、
各人でも判断が難しく、その基準は一定しないのでは。
それほど難しいならば
私が薄着で生活する例もありえるのではないか。
それとも、私もやはり自分で想定できない事態が起こって
寒さのあまりに体調を崩すことはあるのだろうか?
健康でいられるラインとは、果たしてどこにあるのか?

そんなことを考えながら、
暖房のきいていない廊下を歩いていくと
リビングのドアを開けたとたん、
暖かい空気にくらくらすることもあります。
ここにも、境界がひとつ。

家族の何人かがが今気になっているラインは
いつまでなら、サンタクロースにお願いの手紙が届くのか。
それで、私はこのごろボーダーラインについて考えるのかもしれません。
ぎりぎりまで待ってもらえる境界線。
ひとつだけのクリスマスプレゼントを、なかなか絞りきれない子には
締め切りは非常に重要な悩み。
今の時代なら、海外にもすぐに手紙が届くだろうし
不思議な力を持つサンタのことだから、そのくらいの無理は通るかもしれないと
期待する子もいます。

また、少し年長のきょうだいが気にしているのは
サンタクロースにまつわる、もうひとつの境界線。

私が気づいたのは、いつのことだったでしょうか。
論理的に矛盾があることを把握していても
夕凪姉のように、信じ続けることは可能です。

夕凪姉のクラスでも、
サンタクロースがいないと主張する子は
何人かいると聞きました。

夕凪姉は言っています。
世の中には、不思議なことを考える人がいるものだ。
本当にプレゼントが届いているのに。
と。

世界中の子に、一晩でプレゼントを届けることが難しくても。
現代では多くの家屋に煙突がなくて、入り口に困っても。
高空を飛ぶトナカイやそりの説明が現実的でなくても。
プレゼントを用意する予算について謎があるとしても。
おじいさんがあえて寒い季節を選ぶことに健康面の心配を感じても。
なぜ、良い子にプレゼントを届けるのか、理由がはっきりしていなくても。

サンタの起こす奇跡の全ては
家族の行動で説明できるとしても。

夕凪姉が、どのような理屈も気にせず
サンタだからと納得しているのに
なぜ私は、論理的に突き詰めただけでわかったような顔をしているのか。
もしかしたら、夕凪姉が正しくて私が間違っているのだろうかと
時に考えることもあります。
サンタを信じる力とは、果たして何なのか。
全ての論理を跳ね除けて
サンタクロースは実在するのか。
だとすると
私は今年、良い子だったでしょうか?

私が気になっている、もうひとつの境界線。
合唱会に参加する子と、しない子と。
私はどう誘われても、参加することはない。
これははっきりしています。

しかし、霙姉は
断られたら断られるほど燃えると
理解が困難な説明をして
まだ私の勧誘を続けます。
なぜなのでしょう?

次の日曜は、麗姉の学芸会があります。
別のクラスの演目には、マッチ売りの少女があるため
見ていて泣いてしまったらどうしようと春風姉は心配しています。
もっと心配することがあるような気がしますが
春風姉は、特に問題はないと考えているらしい。
麗姉は、あまり人前に立つのが好きではないそうです。
それでも麗姉は劇の練習をしています。

仕方なく学芸会を終えた後、
私の気持ちを理解して、霙姉に抵抗する味方になってくれるのか。
それとも、気が進まない要求であっても
何かの意思があってやりとげようとしているのか。
もし、そうする理由を麗姉が見つけ出したのであれば。
私が何かを教えられて、合唱に参加することを断らないこともありうるのか。
家族が私に与える影響は、理解を超えている場合もあります。
予想できる範囲も存在しているのに
どのあたりから、家族は私の考えられない行動を始めるのか。
いまだに判断はできない。
練習を重ねる日々を見ていると
私はだんだん、
麗姉が本当に学芸会を嫌がっていると、断言できない気持ちになっています。
そんなことは、私がこれまで麗姉を観察していた経験を元にしたら考えられないはずなのに。
ただ、家族が支えていると知るだけで勇気が出ると
そんなことは実際にありえるのでしょうか?
私は今、論理的に説明できないことを考えている気がします。

吹雪の偽日記

『低温』

今日は雨でした。
私にはあまり悪くない気温でしたが
平均的な感覚で言うなら、健康に強い影響を及ぼす可能性がある寒さ。
キミは体調は問題ありませんか?
これからも家族の誰も風邪を引かなければいいのですが。

私が比較的過ごしやすいと感じる季節。
これから寒くなるとさらに快適になります。
こたつで丸くなる家族を不思議に思いながら見つめ、
かといって、犬のように庭を駆け回るわけではない。
私が低温環境を好む理由は、平均体温の低さにあると考えています。
単純に、体質の問題です。
おそらく。
ときどきまわりの人は冗談で、私のことを
コンピュータのような特徴があると言います。
しかし、機械ではないと思います。
体温は低めでも、一定の温度を保っている恒温動物です。
小さい頃の写真もありますし
おぼろげながらも、押さなかった自分の記憶もあります。
もちろん、家族に言われても思い出せない話もあって、
私があさひや青空くらいの頃は、まだ赤ちゃんらしく体温はそれなりだったそうです。
あまり良く食べる子ではなくて、心配をかけたらしい。
あの頃から自分に必要なカロリーを計算して摂取していたのではないかと言われますが
おそらくそのような意識はなかったと思います。
私にも赤ちゃんだった頃がある──
何も憶えていないその時代。
どのように世界を認識して、何を考えていたのか。
見るもの全てが新しく、謎に満ちている。
これはキミの前にいるときと同じ感覚ではないのだろうか。
まだ幼い時期は終わっていないのか──
自分自身にある、いまだ解けない謎と比較してみても
キミは極端に多くの謎によって構成されているようです。
どのような物質でできているのか。
人体の成分は果たして全て同じなのか。
キミと私を区別しているものは。
また、キミが他の人間と違う何かの要素があると
私に感じさせる原因は。
どうやって分析すれば解明に近づくのか、それもわかっていない。
たぶん、客観的な基準を設定し、測定するのが適当でしょう。
この場合、冷静に時間をかけて分析した自己が、まずはひとつの基準かもしれない。
私の低めの体温と比べて
キミの温度はどのくらいでしょうか?

ここ数日は気温が低く、
秋がもうすでに過ぎたかにも見える。
まだ食欲の秋も運動の秋も楽しみ尽くしていなかったのにと
あわてている、星花姉や夕凪姉たち。
私が強く興味を持っている分野は
読書の秋、芸術の秋。
確かにまだまだ追求したい課題はたくさんあります。
しかし、過ごしやすい秋を利用するどころか、
いくら時間があっても足りません。
冬になって多少過ごしにくい場合でも、
なるべく好みの研究に打ち込める環境を構築すると良いでしょうね。
焦ったところで、それほど多くのことはできません。
天気予報によれば、明日はよく晴れて小春日和になるとか。
おそらく、土曜日を利用して星花姉と夕凪姉が張り切るのではないでしょうか。
明日一日でどれだけ食欲と運動を充実させられるのかは疑問です。
秋はまだ通り過ぎてはいないようですが
もう、まもなくでしょう。
明日は暖かくなる予報でも、油断はしないでください。
この数日の寒さが別だったにしても、すでに11月も半ば。
冷える時間帯もあると思います。

蛍姉がアルバイトに通いはじめ、
しばらくは家族が全員で家事を担当します。
食欲を満足させるにはいい機会かもしれませんね。
昨日の料理は、夕凪姉を止めたことで私が評価してもらえましたが
私は本を参考に作っただけで、実はそれほど活躍していません。
このまま料理本に頼っていても、近いうちに作れる料理は同じようなものばかりになります。
全ての料理を試すにはまだ実力が足りません。
できることがなくなった場合、夕凪姉がしていたように無謀に見えても試みを重ねて
実践で経験を積んでいくほうが、頼りになる可能性は高い。
ですから、昨日は本当は夕凪姉に任せることも考えていました。
まだ始めたばかりでは失敗の可能性は非常に大きなものですが
だんだん各自の手際がよくなってくれば
これからは、あまり止めることはなく
積極的に夕凪姉に意見を求めていくつもりです。
おそらく、近いうちに私よりも夕凪姉たちがリーダーシップをとるようになるはずです。
そうしなければ、私の方法では長くは続かないからです。
夕凪姉たちが失敗しながら蓄積していく経験が、
食事のバリエーションを増やす場合、どうしても必要になる。
先を予測して行動を抑える私には真似ができないことです。

失敗を恐れず、挑戦を続けるのは
いったいどのような性質に由来するのか?
私を基準にして夕凪姉を分析すると、
体温の高さと、カロリー摂取量の違いがひとつの理由にあるかもしれない。
私が、あまり必要以上の食事をとるつもりがないのは──
例えばここにある、寒いから元気が出るようにと立夏姉がいくつも買ってきたチョコレート。
体内でエネルギーに変わる効率が高い食品です。
つまり、食事を摂取すると熱が発生するのであって、
私は熱は苦手なのであって……
いつも夕凪姉に頼ってばかりはいられない。
無謀な挑戦をする行動力が、果たして私にあるのか?
失敗するとわかっていても
私がどうしても試したいと考えるようなことがあるとしたら、
それはいったい──
そういえば、明日からはキミも料理に協力すると聞きました。
もしも私が料理本にない行動をとりはじめたら
その時は、今後に必要な行為だと思って
協力してもらえると助かります。

吹雪の偽日記

『夢』

夢は記憶の再構築だと言われています。
その性質上、実際に体験したことでなければ
夢に見ることはあまりない傾向があります。
ただ、人間の記憶領域は複雑なものであって
期待していることや不安に思っていることなど
まだ体験したことのないはずのことを、
あたかも実際に目の前で繰り広げられた事実のように
生々しく夢に見る。
観月の身長がやけに伸びたような気がしていたら
やはり夢だったということがあります。
観月が早く背を伸ばしたがっているからでしょう。
また、観月だと思ったら実は蛍姉だったということもあります。
こちらは夢ではありません。
巫女服は人気があるようですね。
しかし私はあまり動きやすい服であるとは思えません。
このように、夢を構成する要素は多岐に渡ります。
青空が今朝は何かいい夢を見たが憶えていない、
どんな夢を見ていたか教えてほしいとねだってきても
伝説において特別な力を持つカルデア人ではないので、わかりません。
夕凪姉や観月は、科学で説明できない力を持っている可能性がありますが
今回はどんな力も役に立たないと、早々にさじを投げています。
春風姉は、キミも不思議な力を持っていると主張します。
そうなのですか?
青空の見た夢がわかるでしょうか。
ただひとつ手がかりになりそうなのは、
けさは台風の影響もあって風が強く、
青空はその音で目を覚ましたという証言です。
この点は、風の音におどろいたさくらが早くに起きていたため
目撃していたと、青空の主張を裏付けています。
まさか、恐ろしい風の音でいい夢を見ていたわけではないし
風の音が気にならないほど熟睡していたとも考えられますが
夢を見るのは脳が活動している状態です。
外部も気にならないほど没頭できる夢なのでしょうか?
夕凪姉は、おそらく風の音を回転する機械の音か何かと間違えたと考え
大きな綿菓子を作る夢ではないかと推測しましたが
青空は納得していないようです。
回転する機械の動きは、そのシンプルな動きも一つの魅力を持っています。
安定感があって信頼できる動作のひとつであると言えますが
音が大きいと不安を感じてしまう、と私は考えます。
夕凪姉が想定しているのは、その説明から考えられるのは
大きな音を出す単純に大きな機械であって
それは現実的には開発が困難である巨大な人型ロボットに近いらしい。
そのようなものがあったら
おそろしいことです。
非常に危険です。
もし万が一、町を歩き出したら対処できるのでしょうか?
しかし、どうも巨大な存在に対する年少組の憧れは根強いように感じます。
青空がそのように現実的な安全性を思考の外に置いた夢を見ていたとしたら
価値観の違う私では、いくら推測しても青空を納得させる発想には至らないでしょう。
夢の中では、どのような不自然な状態も受け入れられるものです。
観月が大きくなったり小さくなったり
増えたり減ったりするのも
夢だと気がつけば、何も不思議はありません。
観月は別に増えたいと希望はしていないのに、なぜあのような夢を見たのでしょう?
私の希望も関係していたと考えていいのでしょうか。
家族の人数がさらに増加しても問題ないという考え方があり、
むしろ、それが自然に感じると。

とはいえ、風の音が激しくても朝まで安眠できたのはいいことですね。
昨夜はそれほど雨も風も激しくなかったため、
家族の多くが、思っていたほどではなさそうだとさほどの緊張感もないようすで
部屋に向かった姿を確認しましたが
朝になって、いよいよ台風の影響も強くなってきました。
麗姉は帰宅してから、パソコンで鉄道の状況を確認して
悲鳴をあげたり、むずかしい顔で歩き回ったり
自分がおやつを食べていることも忘れて考え込んでいるようだったり。
その後も、各地で運行が正常に戻っていくのを確認するまで
落ち着かないようでした。
あまり麗姉の実生活に関係する事柄ではないと思うのですが
他の何事も手につかないほどで
台風の被害は非常な関心事だったようですね。
風の音が激しかった明け方ごろに
キミの部屋に何人か向かったと──
朝食の喧騒の途中に、情報の断片が遠くから届きました。
誰の声だったのか、誰が部屋まで行ったのか聞こえなかったのは
風の音よりもにぎやかな朝食の声にまぎれ、
私も特に気にならなかったので、そのまま確認しませんでした。
仮に、家族の関係においてそのような行為が可能であるとしても
私は体質の問題があって、同じ方法で恐怖から逃れることはできないし
それに、どのような問題にも多様な対処法を検討しておくべきであるし──
それに──
私は風が強いくらいで、それほど怖くは感じないのだし。

今朝の台風は、雨よりも風の被害が大きかったようです。
雨の対策に小雨姉が用意していた着替えは、役に立つ機会はありませんでした。
また、星花姉と夕凪姉は期待していましたが
学校は休校になりませんでした。
雨が強い場合は、傘で視界が制限されたり、動きにくくなる不便があります。
このような風の強い日に注意することは
風にあおられたときなどに備えて、周囲を確認することだと思います。
雨と違って、強い風であれば手をふさがれることもないため
いつもと違う通学路にはしゃぐ子供も多く見られます。
少し心配していたのですが
今日は、なんとかユキを強い風から守りたいと
小学生組で相談しあって、陣形を組んで進むようにしたため
浮かれている余裕はなかったようです。
その場の勢いで始まった作戦であり、どこまで効果があったのか正確な判断はできません。
危機に備えようとする態度は望ましいものです。
お互いを思う気持ちは美しいですね。

吹雪の偽日記

『サイクル』

幼稚園の運動会が終わりました。

三人みんな、良い結果を出せたようです。
帰宅して昼食をとる間も、はしゃいでいましたね。

徒競走に出場した
さくらの成績は、
5人参加した組のうち
4位でした。
最下位を逃れたのは
練習の成果と判断することもできます。
さくらも満足していました。
よっぽど安心したようで
よんばん!
よんばん!
お兄ちゃんたちのおかげ!
すぐ飛んできて、教えてくれました。
順番はずっと見ていたので知っています。
そこまで急いで伝達に来なくても大丈夫です。
しかし、最下位の子は転んでしまったので
この順位にどこまで実力が反映したのか
はっきりとしたことはわかりません。
転ばないでゴールできただけ、
さくらの走りは上達しているのでしょう。
立夏姉は、もう少しで上位に食い込めたと
自分のことのように悔しがっていました。
もともと、運動能力が近い子を選んでの組分けだったそうですから
立夏姉が言うように、組が違っていたら一等賞の可能性があったかというと
どうでしょうか。
さくらも転んでも仕方ない組にいたように見えました。
上位の子の背中からさほどはなれずについていけたのも、
組分けの結果だったのでしょう。
立夏姉は2馬身差と表現していましたが
それは適当な表現なのでしょうか?
人間の走行では、馬と違って最後に逆転するような競争は多くない。
長距離走でスタミナを残していればスパートをかけることもできますが。
もう少しに見える差でも、幼稚園の徒競走では
いったん離されると追い抜くことはかなり困難です。
せめてもう少しコースが長ければ
練習にかけた時間が、持久力に大きく影響してくる可能性はあります。
幼稚園の運動会でそれは過酷なので、考えられない状況です。
こんな言っても仕方のないことを言い出すとは、
私もさくらがもっと上位を狙えたと判断しているようですね。
冷静な視点というよりは、練習を見てきた
しかし、本人が満足しているようなのでこれでいいのでしょう。
マリーの一等賞をきらきらした目で見ていましたが
さくらがこれからも順当に練習を重ねていけば
当然、順位が伸びて一等賞を狙うこともできます。
もともとの向き不向きよりも、努力が結果に大きく影響することは
園児でもそう変わらないでしょう。
とはいえ、ユキは練習するより体調を維持する努力が必要であったり
個人差によって大きく異なる点もありますが
それは大人でも変わらない部分です。
さくらが来年、再来年と、走力を伸ばしていくのかとなると、
そうですね……
園児の時期は、自分の行動を律する能力が未熟な傾向にあり、
短期間の趣味嗜好が、その時点における能力に関わってきます。
ふだんから競争心を意識していないらしいさくらが
このまま順位を伸ばしていくか、それほど期待できない気もします。
運動しやすい季節でもあり、
さくらが練習を続けたいというなら、
これからしばらくは、
さくらにとっても一緒に練習するものたちにとっても
適当な気候ということになります。
来年の運動会も見に行くでしょう。
その時にどうなっているか、正確な予測は不可能です。

今日は久しぶりに幼稚園を訪問しました。
私も2年前まで通っていたはずなのに、
記憶に残っている出来事はごくわずか。
正直に言うと、久しぶりという実感もありません。
私は本当にこの幼稚園に通っていたのでしょうか。
整った形状を成さないわずかな思い出と
おさがりで利用される品々の由来話が、当時を語るわずかな頼り。
さくらがよく利用する髪留めは私も使っていたものだと聞いています。
私の一つ下のユキは、体が弱くて幼稚園に通えなかったため
夕凪姉と私の二人で幼稚園に通っていた時期が、一年間存在します。
覚えていることはほとんどないのですが
当時は身だしなみをまったく気にしていなかった私に、
夕凪姉が髪を結んでくれることが良くあったそうです。
今でも夕凪姉は手先がそれほど器用ではなく、自分の身だしなみにも手間取っているのに。
まわりにたずねると、そういえば私が髪留めをしている姿を見ることがあったが
てっきり自分でやっているものだと思っていたと。
私も自分の身だしなみを人に説明することはなかったので
私の記憶が存在しない今、
真実を知るのは夕凪姉ただ一人です。
二人で幼稚園に通い、帰宅する場合が多かったため
決してそのようなことがなかったとは言い切れません。
今日の帰り道、すすきをひろう夕凪姉を見ていて思い出したことで
昔、幼稚園からの帰り、
夕凪姉がすすきを振り回す際の驚くべき軌道に興味を持ち
帰宅してから霙姉に相談して、楕円の性質についての関連書を貸してもらった記憶があります。
私の現在の趣味に、夕凪姉の影響があったとも考えられますね。
夕凪姉の卒園後は、私とマリーの二人。
世話をしてあげた記憶も、遊んであげた記憶もあまりなくて、
私はマリーにとってあまりいい先輩ではなかったのかもしれません。
今日、観月とさくらの尊敬の視線を浴びて
堂々と相手をしてあげているマリーの嬉しそうな姿に、
このような姿をあまり見てあげられなかった自分を思い返しています。
三人が今、実りのある幼稚園時代を過ごしていると良いと思います。

先週は、キミたちの学園祭もあり
イベント続きでしたが、
これでしばらくは、家族行事など何も予定はありません。
今月末のハロウィンまでは、
ようやく訪れた本格的な秋を
静かに過ごすことになるでしょう。
小雨姉によれば読書の秋、
立夏姉によれば収穫の秋、
麗姉によれば鉄道の秋です。
秋の夜長とも言います。
時間に追い立てられることもなく
好きなことに没頭しやすい時期になりました。

しかし、明日は気温が上がる予報。
明後日以降は、台風の影響で天気が崩れそうです。
やっと涼しい季節が来て、快適になったと思ったのですが。
もうしばらくは、天気予報を気にする日が続きそうです。
小さい子たちがそのつもりであれば、走るのを見てあげても良いですね。

吹雪の偽日記

『名探偵』

原典には存在しないことで知られる
鹿撃ち帽とインバネスコート。
もともとは、発表当時のイラストレーターの創作だとか。
しかし現在においても、シャーロック・ホームズの外見は
この姿が一般的と言えます。

アニメでは擬人化した犬たちとして
表現していました。
この帽子についた犬耳は、そういう理由です。
氷柱姉のサイズに合わせて作ったものですから
私には大きいサイズです。
帽子の機能は、遮光、耐寒性、装飾性など。
体に合わない形状では、いずれも効果が薄いでしょう。

今日の夕凪姉の事件に功績があったと
渡された衣装です。
やはり、大きすぎるようですね。
一般的に、女子の体型が成長するのは、十代の時期。
個人差もありますが、十代前半に大きく変化するといわれます。
氷柱姉は特に発達する期間を経た後なので
小学生の私とはだいぶサイズが違います。
特に身長の点で、顕著です。
それに私は、食事量と運動量が控えめで
早い段階で体型が著しく発達するとは考えにくい。
星花姉の服ならば、袖や裾を折り返す程度で着用できます。
急な夕立で濡れた場合など、着替えの手持ちが少ない私が借りることはあります。
ですから、星花姉がもらった試作品のパンダチャイナならば
実用性もあると考えられますが
この探偵衣装は、氷柱姉に返すのが良いでしょう。
部屋にあるタンスは、三人共用。
私に与えられた部分は、用途に合わせた最低限の着替えで
すっきりしているほうが好ましい。

そもそも、本当に
この衣装にふさわしい活躍だったと言えるでしょうか?
昨夜、共用のタンスにしまってあった合羽を
夕凪姉の急な要請によって
協力して探し出すことになった時点で
雨の中を外出する予定ができたのだろうと
当然思いつきます。
であれば、次は長靴が必要になることもわかります。
台風が近づき、外出を控えるべきである現状。
下駄箱にしまわれた長靴に鈴を繋いで
夕凪姉の外出を警戒するのは、
誰でも思いついていい工夫です。

朝から雨が降り続きましたが
昼には晴れ間があって、
事態は何も問題なく解決しました。
秘密の外出を発見された夕凪姉が
動揺のあまりに、誰にも質問されないうちから
自分の計画をすらすら答えたので
探検の許可が出ました。
危険なことをしようとしていたと
多少はとがめられていたようではありました。
夕凪姉は、物置の内部を南極大陸に例えていましたが
それほど大げさな場所ではありません。
小学生の使用が禁止されているのは
散らかっているために、使用に難があるから。
そして、散らかっている理由は
普段は整理整頓の必要を感じないものが多く、
つまりそれらは日常的な価値があまり見いだせないから。
新郎新婦の写真がプリントされた食器は
用途に困りますが、
お祝いの品ですから、捨てるのも心情的に悩ましい。
こうして時おり話題になるので
記念にする目的は達成されているわけですが。
結婚披露宴の習慣は、やや解釈が困難な部分が残っているようです。
私が法的に結婚を許される年齢になるまでに
より合理的な披露宴が行われているようにと望みます。
記念の行事に、合理性は要求されていないかもしれませんが。
私の年齢では結婚という制度に理解が乏しく、
具体的な提案をするわけにもいきません。
大人になって、
愛する人と一緒に暮らしていくとき。
ただ毎日を重ねるということ、
そのほかに、何を求めるのか。
何もいらない、
それでは通用しないのでしょうか?
結婚という制度は、南極すらも上回る謎だと言えます。
そんな物置なので、片づけが苦手な霙姉はあまり多くを運び込めず、
夕凪姉が心配していた暗黒コレクションは
宇宙関連の本が多かったため、大部分を私が一時的に借りていて、
つまり、心配していた当の本人の部屋の
本棚にそのまま存在していたということになります。
さすがにこんな場所にあったとは想像が難しかったようです。
おとといはロケットの打ち上げに成功し、
宇宙開発の話題が面白く読めます。
キミも興味がありますか?
でしたら、私が読み終えた後になりますが、いいですか?
どうしても待てないというのであれば、
本の持ち主の霙姉の立会いのもと、我が家の神聖な争奪戦で
決着を付けてもいいでしょう。
争奪戦の内容は、キミに任せます。

今日は、
夕凪姉は、ほこりまみれになってはしゃいで
早めに入浴して寝てしまいましたが
このくらいの年齢では、一晩休めばもう疲れは残りません。
明日が台風の影響が最も大きく、
家に閉じこもる必要がある日。
完全に体力が回復すると予想される夕凪姉は
果たして明日一日、大人しくできるのか?
そこで私たちが宇宙開発の本の争奪戦を行い、
危険な外出から気をそらすことができたらいいと考えました。
でも、私としても、それは名目で
一度は強大な相手と戦って、力を試してみたいだけなのかもしれない。
それとも、かまってほしいだけなのか。
あるいは、仲良く本を分け合うのも、悪い休日の過ごし方ではないとも思えます。
キミに決めてもらいたいと考えています。

吹雪の偽日記

『秋風一夜百千年』

昨日に続いて
雨と晴れが行ったり来たりする
不安定な天候でした。

観月は、雷様の気まぐれだと推測しているようですが
私は沖縄から九州あたりを移動している
台風が原因だと思います。

雲の上にドリフターズの高木ブーさんや
それによく似た鬼や神様がいるという話は
考えにくいことです。
ただし、目に見えないもの全てを否定するならば
物理学の分野における基本相互作用も存在しないことになります。
もしかしたら、似たような力はあるかもしれない。
もちろん、可能性を論じているだけであって
ないものはありません。
どうなのでしょう。
観月が私たちにはない
何かの力を持っていると考えられるように
天候は、雷様に類する何者かによって左右されているのか。
真実は分かりませんが、
私が願っているのは
まだ体に免疫がついていない小さい子たちの健康に
影響が少ない天気であって欲しいということです。

放課後の夕立を教室でやり過ごして
ユキと二人で下校すると、
先に幼稚園から帰っていたマリーや観月が
小さい妹たちの濡れた服を着替えさせたり
体を拭いてやったりしている作業の途中でした。
しっかりした二人だと
その場は思ったのですが、
急に降っては家に引っ込み、
たちまち晴れ間があらわれ、
またぽつぽつとはじまって
すぐやむと思っていたら
今度は本格的な夕立だった。
そんな話を聞いていると
不安定な天気を認識して、家に引っ込んでいるほどは
まだしっかりしていないようです。
幼稚園児ですので、そうでしょう。
私やユキが早く帰って見ていていればとも思いましたが
それでも小学校低学年ですから。
マリーと観月たちは、着替えができただけでも立派ですね。
それぞれが可能な範囲で、できることをする。
これでいいのだと思います。
私も──
急に膨張する胸で和ませることはできませんが
入浴の準備をしておくことは可能です。
キミも小さい子たちを入浴させて
お疲れ様でした。
私は人の体温に弱いので
一緒に入っているのに手を貸すことができなくて
少々申し訳ない気兼ねもありましたが
しかし、そういうものです。
ましてや小学2年生。
できることをするように考えましょう。
キミが望むと思われる大きな胸が存在しない入浴でしたが
そういうものです。
それが普通の入浴です。
大人の男女は一緒に入浴することは
望ましくないとされています。
観月が望んでも、
社会道徳から考えて、避けるべきでしょう。
どうしてもと言うのならば、
家族としては受け入れるように努力したいですが
それも相談の上で行うと良いのでは。

私も大きな胸を望まれているならば
期待に応えたい気持ちはあります。
絶対的な年齢より
ホルモンバランスの関係なので
私の年齢でも
世界的にまったく前例がないわけでもありません。
しかし現実的にはなかなかありえません。
成長に期待するほうが無難です。
いいものであるらしいことは
私は完全には理解できていませんが
周りの言動から想像は可能です。
おっぱいが人の心にどれだけの作用を及ぼすのか──
興味深い研究課題です。
ただし、おっぱいの増加が期待できない相手であっても
愛情を感じることは変わらない。
私が、キミにおっぱいがなくてもかまわないこの気持ちは
老若男女を問わず一般的に乳房を求める理由を調べることで
解明できるのか。
そもそもおっぱいにそれほど情熱を持っていません。
私が変わっているのでしょうか?
それとも、何かほかに求めているものがある?

観月の怪談は、暑さが続いていることもあって需要があるようです。
感心するような知性的かつ、歴史的な内容の話も良くあります。
因果応報は単純すぎると氷柱姉は不満を漏らします。
マリーはもっと情熱的な話が好きだそうです。
子供が多い家では、怪談にそこまで求められていないでしょうね。
大人の言うことにさからって、怖い目にあう。
そのくらいでかまわないでしょう。
それ以前に氷柱姉やマリーは、
あまり怪談を自分から求めるほどではないようです。
怖いのなら無理をしないで、と蛍姉が気をつかっても
どうやら意地になるだけ。
どうして怖い話だけは、苦手だと宣言しにくいのでしょう。
不思議です。
私がキミに求めているのはなんなのか。
ここ最近は怪談も興味深いのですが、それとは関係ないようです。
今日は一緒に入浴してくれてありがとうございました。
小さい子たちの世話をしてくれたことに感謝しているだけではないと
自分では分析しています。

秋の夜長と言うにはまだ日は長いですが
涼しくなったおかげで、考え事に最適な夜。
キミの謎を考えてみることにします。

吹雪の偽日記

『ブーメラン』

気温は午前中から
急上昇して。
今日も真夏の一日でした。

日課のラジオ体操や、
朝顔の観察。
それぞれの朝を過ごした後。

涼しいうちに宿題を済ませたい
学生らしい努力も
空しいものとなって、
正午を迎える前にはもう
屋内のあちこちで、うちわを力なく扇いで
寝転がる姿が見つかります。
涼しそうな場所を探して
駆け回る子供たちの声が
高く響き渡る夏空は──

水蒸気も足りないのか、
上空との気温差で生じる
わずかな白い雲は
太陽の日差しもほとんどさえぎることなく。

夕方近くになって
本格的な活動をはじめようと
集まってきた薄雲が
青い空を落書きのように白く染めながらも──
積乱雲にまで発達することはありませんでした。
それでも、
さっと短時間の雨が届き、
涼しい風を運んでくれました。
この程度でいいのかもしれませんね。
やっと温度の下がり始めた空気に誘われて
一日の終わりの、少し優しくなった太陽の光を求めて
この時を待ちかまえていた姉妹が
水溜りを跳ね上げ、夕焼けめがけて駆け出していきます。
もし、もう少し強い雨が降ったら、
旅行直前なのに明日は洗濯で精一杯になってしまったでしょう。
家のどこから引っ張り出してきたものか、
おもちゃの小さなブーメランを遠くに投げては
追いかけていく子供たち。
戻ってくるものだから、追いかける必要はないと思って
見ていたのですが、
どうも投げるときの技術で
戻ってくるかどうかが左右されるようです。
ブーメランといえば、
水着売り場で君を取り囲んだ姉たちの
熱のこもった議論から漏れ聞こえてきた単語が
印象深く耳に残っています。
自分の水着を選ぶ権利は、キミ自身にあります。
結局、どの水着を選んだのかは
旅行の途中で確認できるでしょう。
水着は投げるものではありません。
どうして水着のことを思い出したのかというと、
戻ってこないブーメランの落下地点まで走って行って
頭から滑り込んでキャッチする
少し本来の目的とは違った遊び方をしている小さい子達が
雨の後の泥だらけの庭に飛び込んで濡れた服を
今にも脱ぎ捨てようと
邪魔そうにしているのを見て、
最初から水着を着用していれば
洗濯の際に効率的だったのではと考えただけで
言葉の響きも強烈な
ある形容をされる男性用水着の
言語感覚が頭を去らない、
というわけではないと思います。
私は夕凪姉と比べると、
流行歌が耳に残らないほうですから。
そもそも、水着を着て泥遊びをしていては
すぐにだめにしてしまうから、有効な提案ではないのですが。
投げ上げられるブーメランは、
大声から逃げたがっているみたいに、人の手を避けて
あらぬ方向へ向かいます。
夕立とも言っていいのか迷う程度の降雨の後、
ほのかな風は、せいぜい体感に影響するほどで
決して強くはないものでした。
それほど、予想もつかない動きを目指す道具ではなかったような。
ブーメランは、子供の遊具として利用されるものですが
その原理は、数学的な解釈を受け入れ、魅力的に思えるものです。
揚力の働きや、歳差運動の影響など
分析を始めればきりがない。
涼しい風に誘われたのか、
私としては珍しく、
体を激しく動かすと想定される道具を積極的に受け取って
実体験で分析を始めた、
あの私らしくない光景は──
もしかしたら、今日の暑さが見せた幻だったのでしょうか?
充分な技術がなければ戻ってくる見込みのない
歯がゆい挑戦を、
何度も、何度も飽きずに。
夕焼け空に向かっていくパステルカラーの回転体を
ほこりが苦手な私が、追いかけようとするなんて
暑さに揺らぐ、ただの頼りない幻のはず。
お気に入りのワンピースのすそに跳ね上がった
まだらの泥汚れが、
答えを知っているかもしれません。

夕焼けを迎えたその翌日に
晴天がやって来るという言い伝えには、
ある程度の科学的根拠があります。
明日は、こんなに暑くならないといいですね。


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